火花スパークス
ブックオフをうろついていたら、漫才コンビのピースのボケ担当、又吉直樹が書いたという『火花』が山積みになっていた。
ここ数年、世間からも、そして世俗からもずいぶん距離を置いた生活をしているので、この小説のことも、この小説が芥川龍之介賞を受賞したことも、最近までまったく知らなかった。
もちろん、小説のことや芥川賞のことだけではなく、この何年間かの世の中の多くのことを、ぼくはまったくと言っていいほど、知らないで生きている。そして、それはある意味ではずいぶんとストレスの少ない生き方だということに、少し気が付き出していた。
ぼくがそのハードカバーを手にとって最初のページの何行かにフワフワと目を流していると、店長が後ろから声をかけてきた。
「つっちゃん、グリーンマイル観たことある、これ?300円で売ってるよ、いっこ300円。この映画、おれけっこう好きでさあ。」
どうやら店内にはグリーンマイルの同じDVDが二枚並んで置かれていたようで、店長は何故かその二枚ともを両手に持っていて、子供のような笑みを浮かべながら、目をキラキラさせて裏表紙を舐めるように読んでいる。
「観たことありますよ、ずい分昔ですが。ぼくもなかなか好きな映画だったと思います。細かいところは忘れちゃってるけど。フランク・ダラボンって、スティーヴン・キングの作品ばかりを好んで実写化しているようなイメージがありますよね。ショーシャンクとか、あとミストとか。ミストは意外とおもしろかったなあ。店長観ました、ミスト?」
「観た観た。あの映画の最後のデカイやつ出てくる所、あそこおもしろいよなあ。あそこ、すごく好き。おれあんまりスティーヴン・キングって読んだことないけど、いやあんまりじゃなくて、完結して一作品っていうレベルでは読んだことないんだけどさ、スティーヴン・キングが原作の映画って、けっこう観てるんだよなあ。意識して観てるわけじゃないんだけどなあ。なんでだろう、運命かな。」
店長はグリーンマイルの裏表紙からぼくの手に持った火花に視線を移して、「あっ、花火だ。」と一言そう吐き出した。
「いや、店長違います、火花です。」
「あっ、そうだ、火花って言おうとしたつもりなんだけど、いつも火花って言おうとして花火って言っちゃう。実写化されてるでしょ、火花、火花ね火花。おれあのサービスに入ってるから、一話だけ観たよ、ネットフレックス。」
「いや、店長、たぶんネットフリックスだと思います。」
「あ〜、ネットフリックスだ・・・おれ駄目だなもう、言語障害とか記憶障害で、明日死ぬかもな。」
ぼくは笑いながら火花を棚に戻した。
「グリーンマイル買うんですか、二枚とも?」とぼくがニヤけながら言うと、「いや、おれ家にグリーンマイルのDVD、三枚持ってるから買わないよ。」と店長もニヤけながら言った。
「なんで三枚も持っとんねん。」
店内にはサザンオールスターズの、ぼくの知らない新曲が静かに流れていた。
月白貉