ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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一年生ランチ

「カナは、給食で一番好きなものは何?」

 

夜の七時過ぎに仕事から帰宅したシンヤがシャワーを浴びてから遅れて食卓につくと、娘のカナと妻のヨシエが食後のリンゴを齧りながら話をしていた。

 

「給食はキライ。」

 

シンヤのために食卓に準備してあったのは、豚肉の生姜焼きとキャベツの千切り、モロッコいんげんのマスタード和え、そしてマグロの赤身のぶつ切りだった。

 

 「あら、給食はキライなんだ、じゃあいつも残してるの?」

 

シンヤは冷蔵庫からビールを取り出して、食器棚から愛用の小さなグラを手に取ると、食卓についてから二人に向かって「いただきます。」と言って、神様に拝むみたいにして手を合わせた。二人はそれに対してほぼ同時に「どうぞ。」と言って、シンヤの方に向き直って頭を下げた。

 

愛用の小さなグラスは、数年前に下北沢の骨董品屋でヨシエが見つけてきたサッポロビールロゴマークの入った古びたもので、おそらくは昭和の頃に何処ぞの大衆酒場で瓶ビールのお供として活躍していたのだろうというシロモノだった。彼女はそのグラスをひと目見て気に入って、シンヤ用のものと自分用のものを想定して二つ買ってきたのだが、買ってきて三日後に自分のものを床に落として割ってしまい、今はシンヤが使うひとつしか残っていない。

 

「食べるよ、残さないで食べる。だって先生が残さず食べろって言うでしょ。それもキライ。」

 

「そっかあ。そっかあ・・・。」

 

「うん、サチコちゃんはママのお弁当だからさ。わたしもママのがいい。」

 

シンヤは生姜焼きを細かく箸でちぎって口に運びながら、小さく何度も頷いている。

 

「パパのお昼みたいにママのがいいよな、パパもそう思う。あっ、ワサビがないよ。」

 

ヨシエは自分の頭を軽くポンポンと叩きながら小さな声で「そうなんだよねえ、知ってる。吉田さんのとこのママは強いからなあ・・・。」と言ってから、リンゴのなくなったガラスの器を流し台に運んでいった。

 

「サチコちゃんのお弁当ね、この間ね、ごはんにアオリンゴって書いてあったよ。」

 

「へ~、ごはんにアオリンゴって書いてあったんだ、不思議なお弁当だねえ、なにでアオリンゴって書いてあったのかなあ?」

 

ヨシエは冷蔵庫から器に作り置いた練った粉ワサビを取り出してシンヤの前に差し出すと、席に戻ってカナにたずねる。

 

「ノリだって。明日はアオリンゴが入ってますよっていう、えっと、ヨコクだって。」

 

「そっかあ、予告付きかあ、いいお弁当だね、きっと。ワクワクしちゃうね。」とヨシエがカナの頭を撫でると、シンヤはまた何度も小さく頷いている。

 

「おれも給食キライだったなあ。なんであんな生ゴミみたいな、まったく火の通っていないキャベツとか玉ねぎの芯の塊が入った焼きそばをさ、残さず食べなきゃいけないのかと。なんであんなゴムの塊みたいなさ、固くて噛みきれなくて、さらにはクソ生臭いイカのホイル焼きを、残さず食べなきゃいけないのかと。そしてあんなものに、牛乳は合わないだろと。」

 

カナは口をポカンと開けたままシンヤを見つめている。

 

「残すとさ、給食の時間が終わっても食べ終わるまで席を離れちゃ駄目だって言われてさ、晒し者みたいにひとりだけ席に残されて、でもやっぱりどうしても食べられなくてさ。おれは食べられないもの口いっぱいに詰め込んで、空になったトレーを担任に見せて席を離れて、トイレに行って吐き出して流したことあったよ。食べられなくて泣いてた子もいたもんなあ。あれは拷問だよ、冗談抜きで。今だってたぶん、そんなに変わらないんだろ、きっと。」

 

「そうだよねえ。」と言って大きく頷いて、ヨシエは困ったように笑った。ヨシエの笑顔を見上げるカナも、真似したように「そうだよねえ。」と言って笑った。

 

一年生ランチ

 

 

 

 

 

月白貉