ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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瞬間フォトグラフィー

きょう、忙しく走り回っている最中、ふと足をとめて空を仰いだ。

 

空がきれいだった。

 

大好きな誰かにそのことを伝えたくて、その瞬間を写真におさめた。

 

ぼくは写真の基礎やらなんやらをほとんど学んではいない。そういうことは大事だと思うけれど、半ばどうでもいいとも思っている。ずっと昔、大学の時に買ったリコーのアナログ一眼レフで、ただ好きなものを毎日撮っていた。毎日毎日。その頃には、大学の先生やら何人かの人に撮った写真をほめられたこともある。でもそのカメラは、その当時好きだった女の子と二人で歩いている時に、女の子に意識がいきすぎて落っことしてしまい、レンズにヒビが入った。それからずいぶん使わないまま、つい最近捨ててしまった。

 

写真って技術だったり手法だったり、あるいはカメラの性能なんかもあると思うけれど、ぼくはあまりそこには楽しみを見出せない。どんなにオンボロカメラでも、ぼくの、自分だけの風景は切り取れる。

 

それはカメラが切り取っているわけではなく、ぼくが切り取っているからだ。

 

 

 

 

 

月白貉