ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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紫陽花リザードマン

 「ドルアーガの塔に出てくるリザードマンって敵がいるでしょ、あいつ左利きだって知ってました?」

 

旅先のローカル線でたまたまボックス席の向かいに座った女子大生と、ふとした切欠で何気ない会話を交わし始めてからしばらくして、彼女の口から唐突にドルアーガの塔リザードマンという言葉が飛び出してきて、少しだけ驚いた。

 

「いや、知らなかった、左利きなんだ。でも、きみまだ二十歳くらいでしょ、ドルアーガの塔なんて知ってるんだね。やったことあるの?」

 

彼女は単色の鉛筆画のような熊の絵が描かれた朱色のTシャツに薄い赤とピンクのチェック柄が入った短パンという恰好で、三十リットルくらいの黄緑色のバックパックを背負っていた。バックパックのブランドはノースフェイスだった。身長はそれほど高くはなかったが、適度に筋肉のついたバランスの整った体をしていて、見ていて心地の良い程度に日焼けしていた。そして日本人にはめずらしくブラジャーを付けていないようで、Tシャツの上に綺麗な胸の形がはっきりと浮かび上がっていた。

 

彼女が向かいの席に腰を下ろした瞬間から、その体からは何かの花のような爽やかな香りが漂ってきたが、それが香水の類なのか、あるいは自然に彼女の体が放っている香りなのかは定かではなかった。

 

「彼氏がずいぶん年上なんで、それもちょっとオタクで、彼の部屋で一緒にいると時々、思い出したように押入れからファミコン出してきてドルアーガの塔をやりだすんですよ、私がいるのに。で、いろいろよくわかんないこと私に話しながらずっと横でやってて、それを聞いてたから、なんかよくわかんないけど部分的に頭に入ってるんです。」

 

彼女は右手をピストルみたいな形にして、こめかみの辺りを何回もトントンと叩きながら少し悲しそうに笑ってそう言った。

 

「そっか、せっかく一緒にいる時にドルアーガの塔なんか始められても困っちゃうよなあ。でもまあ、彼はきみのことがすごく好きだから、自分のことをいろいろ知って欲しいんだろうね、たぶん。ちょっとだけ、そういうのわかる気がするよ。」

 

彼女は窓の外に目を向けながら車窓に頭をゴツンとくっつけて「そっかあ。」と呟くと、また悲しそうな笑顔を浮かべた。

 

「彼、死んじゃったんです、一週間前。車に轢かれて死んじゃったんです。彼の家のすぐ近くの、紫陽花が満開の、公園の横で、車に轢かれて死んじゃったんです。その日、その公園で待ち合わせしてて、紫陽花が満開だから一緒に見ようって。前の日の夜にメールが来て。」

 

彼女は少し声をつまらせてから、車窓に寄りかかったまま一瞬だけこちらに視線を向けて、小さな声で「ごめんなさい。」と言って、静かに笑った。

 

「いや、そうだったんだ、こちらこそ、ごめんね。」

 

彼女は首を大きく横に振った。

 

「でね、そのメールはいつもみたいにすっごく長くて、余計なことばっかり書いてあって。メールの最初の方には、ドルアーガの塔に出てくる敵でおれが一番好きなのはリザードマンだって。なぜかって言うと、リザードマンは左利きだからって。そう書いてあったんです。ドルアーガの塔を私の横でやる度にね、それよく言ってたんです。私がね、左利きが好きなんだったら世界中に左利きなんて山ほどいるよって、私だって左利きだよって言うと、いつも彼は笑うんです。」

 

彼女は話すのをやめて、しばらくの間ずっと窓の外の景色を目で追いかけていた。彼女の眼球が壊れたメトロノームのような動きをするのを、ぼくは何も言わずにずっと見つめていた。

 

「メールの最後に、いま公園の紫陽花が満開だから、明日一緒に見に行こうって。きょうね、夕暮れ時に紫陽花をひとりで見に行ったらね、紫陽花の葉の上にトカゲがいてね、リザードマンを思い出したって。あのトカゲもきみと同じ左利きかなって、そう書いてありました。」

 

彼女はポケットから取り出したスマートフォンで、彼の最後のメールに添付されてきた紫陽花の写真を見せてくれた。それは紫陽花の写真というよりは、どちらかと言えばトカゲの写真だった。

 

その後、ぼくと彼女は、車内では一言も言葉を交わさずにその線の終着駅までたどり着き、二人以外に他には誰もいないホームの上で最後の言葉を交わした。

 

別れ際に彼女と向かい合ったぼくが、「気を付けて、よい旅を。」と言って握手をしようと手を差し出すと、彼女はぼくの手は握らなかったが、顔を寄せてぼくの頬にキスをして、そのまま耳元で「あなたも、素敵な旅を。」と言ってから、ぼくにクルリと背を向けて歩き出した。

 

 「リザードマンは左利きだから、ずいぶん強いんだそうですよ。」

 

歩きながら彼女は大声でそう言って、こちらを振り向かずにぼくに手を振った。

 

爽やかな花のような香りがまだぼくの近くを漂っていたが、あれはもしかしたら紫陽花の香りなのかもしれない。

 

紫陽花リザード

 

 

 

 

月白貉