黒猫ハート
黒猫は言った。
「だってきちんと、いいたいことは、ぜんぶはっきり云わなければ、損をするのは、きみなんだよ。」
雨上がりのアスファルトは、トカゲの皮膚の様にうっすらと湿っていて、何かが焼けるような臭いを放っていた。そして、そのアスファルトの上を黒猫は、独り言のようにずっと何かをつぶやきながら、つむじ風のように走り去って行った。ぼくが聞き取れたのは、この部分だけ。
「だってきちんと、いいたいことは、ぜんぶはっきり云わなければ、損をするのは、きみなんだよ。」
黒猫は、いったい何の話をしていたのだろう。もしかしたら、走り去る黒猫の背中には、ぼくの目には見えない何かが乗っていて、そして黒猫は、その何かと話をしていたのだろうか。黒猫の背中に乗る、目に見えないもの。
あるいはそれは、「透明ネズミ」かもしれないとぼくはふと思った。
昔、よくぼくの祖父が話してくれた。
家の裏にある土蔵の奥には、無数の透明ネズミたちが住み着いている。でも、決して土蔵の奥深くに入ってはいけないよ。なぜなら、透明ネズミたちは、ひどく危険なものたちだからね。透明ネズミは、人の心の悪い部分を増幅させる、怪しげな術をつかうのだよ。ほら、よくテレビのニュースや何かで、ひどいことをしでかした人たちが出てくるだろ。物を盗んだり、人を傷つけたり。ああいうのは、たいてい透明ネズミが関わっているんだよ。
その話をよく聞かされていたぼくは、けして家の裏の土蔵には近付かなかった。
人間は、どんな人だって、心に悪い部分をもっている。それはバランスが必要だからだよ。祖父は言っていた。「良いとか悪いとかは、使い方の問題なんだよ。よく覚えておきなさい。どっちも同じものなんだ。色や形や匂いは違うかもしれないけど、どっちも同じもんなんだよ。」「おなじなんだね。」「そう、同じなんだ。それをいちばんよく知っているのが、黒猫だよ。」
黒猫は、透明ネズミに対抗できる、唯一の生き物だと、祖父はその時教えてくれた。
月白貉