ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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不可能パンチ

ずいぶん久しぶりに、仙の山から町を見下ろす。

 

風が気持ちよい。

 

風が気持ちよいってのは、何よりもいい兆しだ。

 

この地にきて三ヶ月。何だかもう三年くらい、ここにいるような気がする。短い歳月に不釣り合いなほど、いろんな人と出会って、いろんな経験をして、けれどもちろんまだまだうまくいかないことだらけだ。

 

きょう、いつも玄関先で話をするおじさんに、唐突にこう言われる。

 

「自分の人生なんだから、自分の好きなように生きたらいいんだよ。」

 

そう、答えはいつだってシンプル、そうなんだよ。道の真ん中をふさぐ大岩を、ただ誰かに言われた通りに掘り進む必要なんてないんだ。そんなことをしていたら、「こんなの不可能だよ」ってなっちゃう。でも、進み方は無数にある、ぼくなりの進み方だったら、もっと楽しく進めるはずだよ。

 

昔、モハメド・アリが言っていた。

 

Impossible is just a big word thrown around by small men who find it easier to live in the world they've been given than to explore the power they have to change it. Impossible is not a fact. It's an opinion. Impossible is not a declaration. It's a dare. Impossible is potential. Impossible is temporary. Impossible is nothing.

 

そんな言葉を、ぼくは山の上で風に乗りながら思い出した。

 

Muhammad Ali NYWTS

 

 

 

 

月白貉