ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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目白マンドラゴラ

きょう、実家から東京の家に帰ってきたら、 数日前の雨の日にベランダの小さな鉢に蒔いたマンドラゴラの種から、 細かい菌糸みたいなものがボワッと、 種の周辺の湿った土に広がっている。

 

これはマンドラゴラの芽なのか、あるいはただの黴なのだろうか。

 

父と母と、もし今の年齢まで実家でずっと一緒に暮らしていたら、 今ぼくが感じている世界は、まったく別のものになっていたのかもしれない。

 

大学のとき、理不尽なほどに過保護な環境が嫌で嫌でたまらなくて、ぼくは家を出た。

 

そして東京で一人で暮らしはじめた。 世間一般からしたら、よくあることだろう。 でも、ぼくがあの時、ほんとうに嫌だったものは、いったいなんだったんだろう。

 

都会のど真ん中のマンションの三階のベランダ、そのベランダからは、サンシャイン60の肌のほんの一部分だけがわずかに望める。何を見るわけでもなく空を仰ぐと、そこにはぼくが幼いころ見上げた空とはまったく違う暗闇が広がっていた。

 

どこかから見しらぬ男性の気の狂ったような笑い声と、犬の泣き叫ぶ声が幽かに聞こえてくる。土に根をはって成長した巨大なマンドラゴラを引き抜いているのだろうか。

 

夏を目前に控えた世界が巻き起こす風は水分をたっぷりと含んでいて、その水分の中には様々な物の匂いが詰め込まれている。その中には、マンドラゴラの匂いだって、きっと含まれているはずだ。

 

部屋の中からインターホンのチャイムが鳴る。

 

けれどいまは、もう少しだけ空を眺めていたい。

 

目白マンドラゴラ

 

 

 

 

月白貉