ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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新宿アンダスタンディング

きょう、たくさんの人の話を聞いた。

 

人の話を真剣に聞くって機会は、実はなかなかないものだ。

 

たくさんの人の話を聞き終えて、ふとため息をついて、いろいろと考えた。

 

百人いれば百人違う考え方がある。百人違う言葉を持っている。その言葉の本質的な部分には、誰かには理解することが出来ない核も当然含まれている。

 

その未知の核を少し齧って噛み砕いて、自分の舌でちょっと味わってみたくらいでは、彼らの言わんとする本当の意味なんてわかるはずはない。だから果たしてぼくがどれだけ彼らの話を理解できたのかということを思うと、なんだか少し泣きそうになった。

 

誰かの話を聞き、理解するということは、あるいはまったくの不可能に近いんじゃないだろうか。

 

だから世界は、争いに満ち溢れているんじゃないだろうか。

 

もし誰かが他の誰かの言葉を、他の誰かの話を、曇りなく完全に理解することができたなら、戦争はなくなるはずだ。 

 

そういえばきのう、早朝の新宿をさまようホームレスのおじさんが、新宿駅前で絶叫していた。

 

「自分自身が発している言葉の意味も理解してねえのに、おれがそのお前の言っていることなんか理解できるわけがねえだろうが、ばかやろうが、ふざけるんじゃねえぞ!!」

 

あれは、もしかしたら、ぼくに言っていたのかもしれない。

 

新宿アンダスタンディング

 

 

 

 

月白貉