ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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狼ノスタルジア

おじいちゃんのことを思い出した。

 

ぼくは「じじ」と呼んでいた。

 

じじは、自分の子どもたちには「パパさん」と呼ばれていた。

 

じじはずいぶんと嫌われ者だった。だれひとり味方のいない、痩せこけた狼みたいだった。じじはなんであんなにみんなから嫌われてるのか、なんとなくはわかっていたけれど、本質的な部分はいままでぼくにはよくわからなかった。

 

でも、この頃わかるような気がする。

 

「草の長さ三寸あれば狼は身を隠すと伝へり。草木の色の移り行くにつれて、狼の毛の色も季節ごとに変わりて行くものなり。」

 

でも、じじは身を隠すことをしなかった。

 

季節に応じて自らの毛の色が変わることはなかった。

 

だからいつだって、嫌われ者だったんだ。

 

狼ノスタルジア

 

 

 

 

月白貉