ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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目白スクリーム

シャワーを浴びながら思った。

 

死ぬって何だろう。

 

みんな死ぬのに、小学校では習わなかった。

 

いろんなところから、キリキリ虫の鳴き声が聞こえる。

 

エアコンの吹き出し口から聞こえる気がするし、窓枠の隙間から聞こえる気もする。蝉はもうほとんどが死に絶えて、その死体がカラカラになって流れているから、あれは蝉じゃない声だ。

 

キリキリいう。

 

枕の下かもしれないし、プリンタのインクジェットの中かもしれない。キリキリ。虫も季節も、青も赤も緑も、蝉も、死も、すぐそこにあって、ずっとぼくを見ている。

 

だから時々、ああ、そうだな、と歌う。

 

目白スクリーム

 

 

 

 

月白貉