ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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新宿ワンサウザン

ここしばらく、 大きな桜の木が一本だけ生える公園で、 その桜の木の下にある曲がりくねった長いベンチに座り、 お昼にお弁当を食べている。

 

日陰がそこにしかない、大きな公園。 ぼくの横には、 毎日決まって先客がいる。

 

おかっぱ頭のシーズー犬を連れた、60代半ばの男性。 80代後半の、大きなサングラスをかけた色黒の女性。 二人はずいぶんなじみらしく、 毎日楽しそうに会話を交わしている。

 

男性は、実は心は女性で、夜のお仕事をしているママだ。 軽度のアルコール中毒らしく、 大量のビールと酒、そしておつまみを持参して、毎日公園にやってくるらしい。

 

女性の素性はあまり明らかではないが、 一見、日本人には見えないような色黒で、 大きなサングラスがとても似合っている。 二人はそこで、 お昼ごはんではなく、 おなかがすいたから何かを食べ、 喉が渇いたから何かを飲んでいるらしい。 そして14時半に公園にやってくるパン屋を待ち、 お気に入りのおいしいパンを買って、 そこから退散するらしい。

 

ぼくは男性のことをシーズー、 女性のことをマザーと、 そう勝手に呼んでいる。

 

「きょうは本番用のビールを忘れて、予備のビールだけ持ってきちゃったよ、 もう、ちょっとぼけてるからさ、ちょっとだけね。」 シーズーは言う。

 

「じゃあ飲み足りないねえ。」 マザーが言う。

 

夏の熱気と汗に満ちた禿げ頭みたいな都心の公園には、 もうたくさんの蜻蛉が飛び交い、 なんだか古びた映画の終盤みたいな風が吹き抜ける。

 

「おかあさんねえ、1000円稼ぐのがどんなに大変か知ってる!?」

 

きょう、ぼくの去り際にシーズーが叫んでいた言葉。 ベンチから立ち上がって歩き出すと、 蜻蛉は一匹もいなくなっていた。

 

新宿ワンサウザン

 

 

 

 

月白貉