ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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絵を描くのは好きだけれど、きちんと絵が描けるほどの絵心が今の自分にはないかもしれないことについての短い考察。

ぼくは子どもの頃から絵を描くのが好きで、中学生くらいまでは漫画家になりたいと思っていた。

 

大学進学の際に、ほんとうは美術の方へ進みたかったんだけれど、直前になって試験にデッサンというものがあることを知り、美術の授業でヘンテコな自画像を描いたことがあるくらいしか、デッサンと言われるものの経験がなかったぼくは、あっさり諦めて映像の方へ進んだ。

 

それからもう数十年が経過しているけれど、いまだに一度も絵の勉強などしたことがないし、きちんとしたデッサンもしたことがないまま今日に至る。

 

それでも、数年前までの十数年間は、デザインやらイラストやらを仕事にしていたこともある。デザインについては独学だし(まあ独学と言っても、実践で当たって砕けるタイプなので、学んでなどいないかもしれないが)、イラストはまあ描ければ何とかなるだろうというこで、どうにかこうにか、なんとかなっていた。

 

ただいつもいつも、絵を描くたびに思うことは、ぼくには、自分が欲しているだけの、自分が必要としているものに足る、そういうしっかりした絵心というか、絵を描く能力が欠けているよなあということ。だからずっと、きちんと絵を描くことなり、真面目なデッサンなりを改めて学びたいなあと思っていた。

 

でもね、少し昔だけれど、仕事でお世話になったある人にそのことを話すと、こう言われたことがある。

 

「絵、描けるでしょ、だったらさ、わざわざ勉強なんかする必要はないよ。」

 

その時、あっ、そうなんだ、って思ったのである。

 

要するに、何が何でも多くの人と同じような道筋を通って、多くの人と同じようなやり方で、ただ単に均一化された規定値に足る能力を身につけることだけが、物事のすべてじゃないよ、と、そういうことだろう。

 

そう言われた後に、すごく気が楽になったことを、今でもよく覚えている。

 

まあいまだに、絵を描くたびに、「ああ、なんて絵が下手なんだろう・・・」と絶望して血の涙を流すことも度々あるにはある。でも今は、前ほどあんまり深く考えないようになった気がする。

 

絵を描くのが好きで、まあどうにかこうにか絵が描けて、それが誰かひとりにでも「なかなかいい絵じゃん!」って言われることができるならば、もしかしたらそれが絵心があるってことなのかもしれない。

 

まあそんなこんなで、久しぶりに落書きをしてみた。まったくもって個人的な知り合いの「A画伯」の今日の姿を描いた絵で、知らない人が見てもおもしろくもおかしくもないだろうが、ぼくはけっこう満足のゆくものになった。

 

なかなか似てるじゃん!

 

人生にはそういうことが大切だね、きっと。

 

絵を描くのは好きだけれど、きちんと絵が描けるほどの絵心が今の自分にはないかもしれないことについての短い考察。

 

 

 

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月白貉