ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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冷やし中華をはじめる前に、「カクヨム」はじめます。-『吸血』投稿編 -[其の壱]

このウェブログで、時々小さな物語の欠片やら構想やらをちょっとずつちょっとずつ書いていたりする。 

 

そんな折、KADOKAWAはてなが共同で立ち上げた新しい小説投稿サイト『カクヨム』なるものを知ったので、ちょっと使ってみることにする。

 

まずは手始めに、このウェブログに書いている吸血鬼をテーマにした物語の欠片を加筆修正していくつかアップしてみた。

 

まあ行き当たりばったりで書いているものなので、今のところはまだ、話の体裁はまったくもってよろしくない。

 

冷やし中華をはじめる前に、『カクヨム』はじめます。-「吸血」投稿編 - [其の壱]

 

さて、この『カクヨム』、インターフェイスはなかなかシンプルで清潔感があり、一見するといろいろと物足りないような気がしたり、使ってみて導線がよくわからない部分はあるものの、おそらくはこのくらいがちょうどいいんじゃないのだろうか。

 

このサイトを使っている人の中には、単に文章が書きたいという以外にも、もっと違った思惑をもっている人もたくさんいるだろうが、ぼくは単純に文章を書きたいということが、今のところの主要な目的なので、このくらいシンプルなもので、まったくもって十分に感じる。

 

昨今の日本人はひとつの物事に対して過剰に多くを求めすぎる傾向がある。

 

例えば、下町の小さな中華料理屋で、真冬に冷やし中華を欲して入ってきた客がいるとしよう。

 

当然、その店では真冬なんかにはまだ冷やし中華をはじめておらず、店員には注文を断られるだろう。

 

「今の時期は、冷やし中華はやってないんですよ。」と。

 

するとその客は、「なぜ冷やし中華がないんだ!!!」と言って店員を捕まえて、気が狂った犬のようにヨダレを垂らしながら苦情を叫びだす。

 

その横でラーメンをすすっているぼくは、愚の骨頂もいいところだなあと思って気分が悪くなり腹も立つが、怒りを通り越して哀れにすらなる。

 

それに対して店員は頭を下げて「申し訳ございません・・・」などと謝ってしまい、後日、店の大将と相談して、「苦情を言ってくる客がいるから、冬にも冷やし中華を出すか・・・」ということになる。そうやってアホみたいな客の無理な注文に応えるために、一年中冷やし中華をメニューに載せたはいいが、真冬になんて冷やし中華はさっぱり売れずに、用意していた材料だけが傷んでしまって、挙句の果てにはすべて廃棄するという流れが出来上がる。

 

日本人はどうもそういう過剰なサービスが当たり前だと思っている節があっていけない。

 

ないものはないんだから、仕方がないじゃないかという考えが出来なくなっているんだろうなあ。

 

客は客で、欲しいものがなかったとしても我慢すればいいし、どうにもこうにも真冬に冷やし中華が食べたいのなら、その欲求を店にぶつけるんじゃなくて、自分でなんとかするのが筋というものである。

 

店側も店側で、そんな頭のオカシイ客のためだけに店を経営しているわけではないのだから、きちんと「んなものは、ねえよ!」と言えばいいし、それでも文句を言うようなら「おまえ様が神様だかヘチマ様だか知らねえがな、二度とうちの店の敷居をまたいでくれるな!おとといにも来やがるな、コンチクショウ!!!」と言ってやればいい。過剰な客の要求をこなすためだけに、飲食店が食べ物を粗末にするような悪循環を作り出すべきではないであろう。

 

とまあ、そんなこんなで、『カクヨム』は今のところ、なかなかよいと思いますよってなことで、

 

冬季に冷やし中華ははじめませんが、『カクヨム』はじめます。

 

 

以後お見知り置きを。

 

トピック「カクヨム」

 

 

 

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