古い映画を2本観て、サラダを4回食べた -『恋する惑星』(重慶森林、Chungking Express)-[映画の味]第一回
ぼくはウォン・カーウァイの作品を、つい最近までまったく観たことがなかった。
理由はと言えば、ずいぶん昔に、たしか映画を貪るようにして喰らっていた大学生の頃だったと思うけれど、『欲望の翼』(阿飛正傳 Days of Being Wild)だか『恋する惑星』(重慶森林 Chungking Express)だかの予告編を観た段階であまり肌に合わないような気がして、なんとなく長い間毛嫌いしていたから。
まあおそらくはタイミングの問題で、それ以上でもそれ以下でもない。ほとんどの事柄の理由なんてものは、大抵はタイミングの問題だってことを、多くの人がもっと知るべきだろう。
先日、レンタル店で偶然目に留まって、悩んだ挙句に借りてきた『グランド・マスター』(一代宗師 The Grandmaster)、悩んだポイントはもちろん、監督がウォン・カーウァイだったから。
この映画は詠春拳の達人として知られる香港の武術家、葉問の物語で、幼いころから香港のカンフー映画がめっぽう好きだったぼくは、観たくて仕方がなくなった。監督がウォン・カーウァイかあ・・・という悩みに打ち勝った大きな要因は、単にカンフー映画が好きだということだけでなく、この映画のアクション指導がユエン・ウーピンだったからである。
結局は意気揚々と借りてきた『グランド・マスター』を鑑賞して、結果すごく好みな映画だった。もうすでに三回ほど観返した。今回は『グランド・マスター』の話ではないので、詳しことはまたその時に譲りたいと思うが、この作品はどうやら第63回ベルリン国際映画祭でのオープニング作品だったらしい。ここ数年、映画はおろか多くの世間の情報をずいぶん遮断して生きているぼくは、そんなこともまったく知らなかったけれど。
じゃあ、ウォン・カーウァイの他の映画も観てみようと思って、最初に手にとったのが、今回お話したい映画。
というわけで、記念すべき第一回目の「映画の味」は、『恋する惑星』である。
この映画は1994年(日本は1995年)に公開された香港映画で、香港の九龍にある雑居ビル「重慶大厦」を舞台として描かれる数人の男女の物語である。
メインの俳優は、金城武、ブリジット・リン、トニー・レオン、そしてフェイ・ウォン。
大まかには、それぞれペアになった男女の物語が、ふたつ詰め込まれている二部構成のような映画になっている。そして結果から言うと、とてもよい映画だったし、すっごく美味しい映画でもあった。この「映画の味」の主題である食事のシーンも満載だったし。まあひとつ不満を言えば、これは作品自体には関係ないのだけれど、『恋する惑星』という邦題はどう考えても酷い、酷すぎる。
映画の印象としては、香港はあんなにインド人だらけなんだ!ということ。今は中国に返還されてしまっているけれど、当時はまだイギリスの植民地だったからなのかなあ。それにしても中国人よりもインド人のほうがたくさん出てくる気がする。
もうひとつは、これは主に前半部分ではあるのだけれど、なんとなく村上春樹の作品を想起させるような描写や表現があるなあと、個人的にはそう感じた。ではどんな話なのってことだけれど、基本的に話の内容は書かない主義だから、ごくごく端的に述べる方式で言えば、
いま、あなたには好きな人はいますか?っていうお話かな。
さて、じゃあこの映画の食事シーンの話をしよう、この『恋する惑星』には、なかなかよい食事シーンがすごくたくさん描かれている、それがぼくがこの映画を好きになった所以でもあるし、「映画の味」で語るべき映画なのである。
一番好きなシーンは、トニー・レオンが演じる警官の663が、屋台でお昼ごはんをかきこんでいるシーン。
この映画はあそこに尽きると言ってもまったく過言ではないくらい衝撃的に美味しそうなシーンであり、かつ観ていてとんでもなくお腹が空くシーンでもある。食べているものはなんだろうなあと思うんだけれど、香港映画を観ていると、あの食べ物はよく登場してくる。おそらくは白米の上に焼豚を乗っけて、その焼豚のタレをぶっかけたものじゃないのかなあと、勝手に想像している、あるいは白米にタレがからめてあるとか。香港の屋台では定番的なものなのだろう。
記憶にあるところだと、サモ・ハン・キンポーが監督と主演を務める『五福星』(奇諜妙計五福星 Winners and Sinners)で同じような食事が登場していた。
ぼくが『五福星』を観たのは、小学生の頃、たしか地元ではなく大阪の映画館でだけれど、サモ・ハン・キンポーが演じるポットが食べていたものが、『恋する惑星』で663が食べているものに非常によく似ている、いや似ているのではなく同じものだと思う。『五福星』での、あの焼豚飯的なものが、ぼくの頭には今でも鮮明に焼き付いている。ちなみに映画は二本立てで、もう一本の映画は日本映画の「コータローまかりとおる!」だった、ああ懐かしい。
さて、663の食事のシーンでもうひとつ印象的なのは自宅でのもの、何かの麺類と醤油味のサーディンの缶詰を食べているシーンだろう。
あの麺は、おそらくは乾麺を戻したもののような見た目をしているから、あるいはインスタントラーメン的なものなのかもしれない。サーディンも缶詰を開けてそのままのものを箸でつまんでいるし、すっごくジャンクな食事なんだけれど、なんだかそこが非常にそそられる。
一方、金城武が演じる警官の223がマクドナルドの横でハンバーガーを食べているシーン、自宅でパイナップルの缶詰を貪り食っているシーン、ホテルで古い映画を観ながらサラダ?を山ほど食べているシーン、あのあたりもなかなかによい部分である。
ホテルでのシーンで、日本語字幕では「サラダ」と翻訳されていたものは(英語字幕では「Chef's salads」となっている)、フレンチフライが山盛り添えてあるし、食べているのはハンバーガーかサンドイッチのようなものなので、何かのサンド的な種類のものだろうかと思う。663が毎日彼女のためにスタンドで買って帰る夜食も「サラダ」と訳されていたけれど、なにやらアルミに包まれたサンド的な型状のものだった。広東語がわかればずいぶん解決するのだろうけれど、「サラダ」とはなんぞや?というわずかな疑問は残る。
他にもこの映画には、細かな部分では様々な食事シーンが登場する。そういった意味でも、実に「美味しい映画」のひとつだと言えるのではないだろうか。
最後にひとつだけ、ブリジット・リンが演じる謎の女性が麻薬の運び屋として雇った数人のインド人が、汚いキッチンで小さなテーブルを囲んで、ビールを飲みながらワラワラと食事をしているシーンがある。テーブルの上には各種中華料理のように見えるものがたくさん並んでいるのだが、インド人たちはカレーを食べるが如くに皆それぞれに手で食べているのがとても印象に残る素敵な食事シーンなのである。
まあそんなわけで、無計画に書き始めた初回の「映画の味」、ほんとうは食事のシーンのイラストも描いて添えてゆこうと思ってはいるのだが、それはおいおいやってゆこうというわけで、今回は文章のみでご勘弁頂きたく、そんなこんなでお開きとさせていただこう。
月白貉