ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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かごめかごめ

ぼくの地元は都心からはさほど遠くない関東近郊の片田舎、海もなければ山もなく、ただただ平野の広がる何もない土地だった。

 

実家は、そんな町の中心部に位置する商店街にあって、かつてはそこで小さな米穀商を営んでいた。

 

まだ子どもだった頃、その商店街は田舎ながらもいわゆる繁華街的なものであり、人通りも、そして車通りもずいぶんあった記憶が頭に焼き付いている。しかし二十年ぶりに帰郷したその場所は、もしかしたらあれから二三百年は経ってしまったんじゃないのかと思うほどに、荒涼としていて、まさにゴーストタウンと呼ぶべきようなものに変貌を遂げていた。

 

商店街に立ち並ぶ店のほぼすべてが、開店休業どころか廃屋と化していて、通りを歩く人の姿も、行き交う車も皆無だった。

 

かろうじて形をとどめて、さらにはシャッターをあげている店もいくつかあったが、商売がまともに成り立っていると言えるような状態でないことは明らかだった。

 

実家に到着して一息ついたぼくは、そんな様変わりしてしまった商店街を、子どもの時分のように端から端まで歩いてみようと思い、ちょっと散歩でもしてくると言って表に出た。

 

商店街を歩き出すと、ぼくの思い出の片隅に残る店のほとんどは、もうその姿を留めてはいなかったが、商店街を半分に分けた北側に差し掛かった頃、あるひとつの見知った店が目に入ってきた。

 

その店は、ぼくが幼い頃からある衣料品店で、開店したのは確か昭和四十年代のはじめだということだった。

 

ぼくが小学生の頃には、店もずいぶんと賑わっているような印象を受けたが、その後のことはよく知らない。噂によれば、店主の長女と結婚して後継ぎとして嫁いできた男性が店を任されるようになってからは、ずいぶんと評判が悪くなったという話を耳にしたことがある。自分の家の店を継ぐこともなく、若いころにこの土地を離れてしまったぼくは当然、その詳しい事情をまったく知らないのだが、父や母の話を聞く限りだと、他所の土地から来た後継ぎの男性がずいぶんと閉鎖的な傾向を持っていたらしく、先代が亡くなってからは、まともな商売が成り立たなくなったというようなことだった。

 

店の手前までたどり着くと、店頭のシャッターが上がっているようなので、雰囲気からしておそらくはまだ営業中のようだったが、中はいったいどんな状態になっているのだろうという好奇心から、通りすがりざまにそっと覗き込んでみた。

 

店の正面にある自動ドアは壊れてるのか反応はせずに開いたままになっていて、店中にある照明の類は一切消されていた。ショーウインドーから差し込むわずかな陽の光だけが、店の中を薄っすらと浮かび上がらせているばかりで、シャッターを上げて入り口を開けてはいるものの、客が来るだろうという想定など微塵もないようだった。

 

店内には、衣料品店で扱う商品だと思われるようなものはまったく置かれておらず、半ばガラクタ置き場のような状態で、衣料品とは関係のない埃だらけの壊れた家具やら、湿ったダンボールや古新聞をまとめたものやら、あるいはザビ付いた自転車や三輪車やらがあちこちに散乱していた。あとは空っぽのガラス棚と、何もかかっていないハンガーポールが、時々チラチラとこちらに何かを目配せするように、鈍い光を放っているのが見えるだけだった。

 

開店しているかと思ったが、ここもどうやら他と同じようだと思いながら、店の前をゆっくりと歩き、角度を変えて再び店内を見回してみると、奥のほうの真っ暗な空間にはレジカウンターがあるようだった。そのレジカウンターの横には幾つもの柱だか衝立のような細長い影が見え、その影に囲まれたパイプ椅子に、茶色いビロードのようなボロ布を頭からすっぽりとかぶった人影らしきものが、じっと動かずに腰掛けているのがわかった。目に映ったその姿にぼくは少しだけ驚いてビクッと身を震わせたが、おそらくは年老いた店主が、誰も訪れることのない店の中で日がな一日店番をしているのかもしれないと、そう思った。

 

すると雲の加減が一気に変わって、ひときわ強い太陽の光が店の中を照らしだした。光が店の奥のカウンターの辺りまでをほんのりと浮かび上がらせると、

 

パイプ椅子に腰掛けた店主を囲む影は柱や衝立ではなく、まとまって置かれた十体ほどの女性のマネキンだということがわかった。

 

マネキンの種類は昭和期の衣料品店によく見られるタイプで、リアルな女性の体のフォルムを持ち、手の指先が歌舞伎で言うところの見得を切るような風に複雑に折れ曲がり、硬質な表面に薄い肌色の着色がほどこされ、顔のパーツ、眼や唇や眉毛が無機質に描きこまれているものだった。

 

そのマネキンたちが、店の奥の暗闇でパイプ椅子に腰掛けているボロ布をかぶった店主を取り囲むように、見ようによっては、店主を中心点として、その周囲で手を繋いで円陣を組むようにして、ずらっと並べられている。どのマネキンも店主の方を向いて立っていて、体は皆、すべて服を脱がされた一糸まとわぬ姿になっている。

 

ほとんどのマネキンが、かつては服と同様に頭に付けられていたであろうカツラをも外されてしまっていてツルツルのスキンヘッドのような状態だったが、一番奥手の、おそらくは店頭を向いて腰掛けているであろう店主の背後にいるマネキンだけは、グシャグシャになった薄汚れた金髪のかつらを無造作に頭に乗せられている。

 

一瞬途切れた雲が再び太陽を覆い隠すと、マネキンと店主はもとの闇の中に姿を溶け込ませてしまった。

 

瞬間的に、背筋に氷を這わせたような冷気がスッと通り過ぎ、不快な気分が胸を襲う。

 

ぼくの頭には、全裸のマネキンたちが店主を取り囲み、その周囲を輪になってグルグルグルとすごいスピードで回転している様が思い浮かんだ。

 

「あれは、かごめかごめじゃないのか・・・」

 

無意識にそう小声でつぶやいた時、ボロ布をかぶった店主の位置から何かがこちらに目を向けたような気配があった。陽の光が届かず、真っ黒い影に沈み込んだ店の奥から、眼の玉のようなくすんだ丸いものがひとつだけ光を放ち、ギュッとこちらを捕捉するような感覚に囚われた。そして同時に店の中から、ガサガサと何かを引きずるような音が聞こえ出した。

 

ぼくは店の中からすぐに視線をそらし、歩を早めて店の前を通り過ぎた。息遣いが荒くなり、血の気が引いているのがわかった。掌におかしな汗をかきはじめていた。

 

店の中を覗いていたのはほんの短い時間だったが、ずいぶんと長い時間を店の前で過ごしていたような奇妙な感覚があった。なにか見てはいけないもの、あるいはなにか邪悪な悍ましいものに足止めをされていたかのような強い不快感も同時におとずれた。

 

衣料品店の前を通り過ぎてからすぐ、ぼくは無意識のうちに、何かから逃げるように、走りだしていた。あの場から少しでも遠くへ離れなければいけないという警告じみた何かの声が体内のあちこちに駆け巡り、気付けば必死に足を動かしていた。

 

あの店主に姿を見られたのではないだろうか。

 

言いようのない、得体のしれない恐怖が、背後からものすごいスピードで追いかけてくるのがわかった。その恐怖からどうにか逃げ延びるためには、自分の中であの光景に対する具体的な、そしてある程度納得の行く、おかしな妄想ではない正常な見解での仮説を立てなければならなかった。自分に対する嘘でもいいから、きちんと言い聞かせて、十分落ち着かせる必要があった。それが出来なければ、あの恐怖はすぐにでも背後からぼくに飛びかかってきて、タコの吸盤のような口で喉元に喰らいついて血を飲むかもしれない。あるいは巨大な禍々しい造形の刃物で体を引き裂き、体内から取り出した血だらけのあらゆる内蔵をひとつひとつ切り刻んで貪り食うかもしれない。

 

まずは人気のある場所に逃げこみたかった。

 

「タマルヤだ、あのショッピングビルだ・・・あそこまで、あそこまで行こう。」

 

自分を落ち着かせるため、何度か小声で囁くと、ぼくは商店街の北の端にあるショッピングビルに向かって走り続けた。

 

 

 

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月白貉