ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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祖母のトマトソース

ぼくが東京でひとり暮らしをはじめた頃に、はじめて自分で買った料理本はイタリア料理の本だった。

 

365日わが家でもイタリアン

365日わが家でもイタリアン

 

 

その本はいま手元にはないけれど、ボロボロになるくらい、すっごい熟読した記憶がある。

 

いま普段作るイタリア料理も、ずいぶんとその本がベースになっている気がする。でもトマトソースの作り方だけは、中学生の時に祖母から教えてもらった、ピザの作り方を教えてもらう工程でね。その後、家でのピザ作りはぼくの役目となった。

 

両親が共働きだったぼくの家では、食事はすべて祖母が作っていた。母はまったくと言っていいほど、料理をしない人だった。そんなぼくの思い出のごはんは、いわゆる母の味じゃなくて、祖母の味なのだ。

 

だから、ぼくの根底にあるきちんとした味覚や、料理に対するこだわりみたいなものっていうのは、料理の上手だった祖母のごはんにある。

 

子どもの頃に食べるごはんって、すっごく大事なんだよね。

 

祖母は大正の生まれだったが、日本食に限らず多種多様な料理を作った。伝統的な昔ながらの和食はもちろん、本格的な中華料理、そしてアメリカンな巨大ミートロフからおしゃれビーフシチューまで。様々なお菓子やケーキも作ったし、いろんな種類のパンも焼いた。クリスマスには三種類くらいの祖母手製のケーキがテーブルに並んだ。ショートケーキとブッシュ・ド・ノエルとアップルパイがわりと定番だった。アップルパイにはアイスクリームを添えて取り分けてくれた。その上になお、料理教室に通ってノートに手書きの詳細なレシピを残したり、新聞や雑誌に掲載されているあらゆる料理のレシピを切り抜いてファイリングしていた。ぼくがまだ幼い頃に夕方おかってにゆくと、夕食の支度をする祖母の背後の小さなおんぼろテレビからは、いつもかならず「土井勝のおかずのクッキング」が流れていた。

 

ほんとうに純粋に料理が好きだったんだろう。

 

まだ祖母が健在な頃に、ぼくが実家に時々帰って料理を作ると、美味しい美味しいと言って食べてくれて、かならずそのレシピを聞きたがった。

 

「この味付けはどうやってるんだろう?」って。

 

純粋に好きってことは、すごくすごく大切なのさ。

 

 

 

「ラ・ベットラ」落合務のパーフェクトレシピ (講談社のお料理BOOK)

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月白貉