ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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私は死してもこの世に蘇り、暗黒の力と結束して復讐することを誓う! -『ドラキュラ』(Bram Stoker's Dracula)【前編】

日本では「ドラキュラ」という言葉を、「吸血鬼」あるいは「ヴァンパイア」と同義で使っている人が多いと思う。

 

しかし厳密に言うと、ドラキュラというのは固有名詞であって、吸血鬼全般を表す言葉ではない。これは吸血鬼愛好家としては、実に重要なポイントである。

 

例えば日本でドラキュラといえば、かの藤子不二雄の代表作「怪物くん」、その主人公である怪物太郎に仕える三人のお供の者の話に触れねばなるまい。

 

怪物くん 1 (てんとう虫コミックス 421)

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怪物くん 13 (てんとう虫コミックス 543)

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ちなみに「怪物くん」は「藤子不二雄Ⓐ」こと安孫子素雄の作品であるが、まあそれはさておき、そのお供の三人とは、狼男、フランケン、そしてドラキュラのというメジャーモンスター三人組で構成されている。本筋からは大いにそれてしまうが、せっかく乗りかかった船なので簡単に三人のことについて触れてみようと思う。

 

まず、狼男は故郷の怪物ランドでちょっと名の知れた怪物料理の名コックであり、怪物太郎の住む怪物屋敷では主に食事の準備や掃除などの家事を担当している。

 

VCD オオカミ男(ノンスケール PVC製塗装済み完成品)

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普段は単なる太ったおじさんの外見をしているが、狼男というくらいなので満月を見ると獣人に変身し、その特殊能力を発揮してなかなかの強者と化す。ちなみに自分のことを「あっし」と呼び、会話中の言葉の語尾に「ガンス」を付けることを特徴としている。「坊っちゃん、あっしは知らないでガンスよ!」というような感じである。補足であるが「坊っちゃん」とは怪物太郎のことであり、お供の三人(厳密には二人)は怪物太郎のことを坊っちゃんと呼んでいる。それはなぜかと言えば、怪物太郎が怪物ランドに君臨する怪物大王の息子だからであることは言うまでもない。

 

そしてこれまた余計な話だが、たしか市川崑の監督した「股旅」の中で、登場する人々が「あっし」とか「がんす」のような方言を使っていたような記憶が薄っすらある。

 

おそらくは狼男の話し方は、どこぞの方言から取り入れられた言葉遣いなのではないだろうかと推測する、東北の辺りかあるいは広島の方かもしれない。ぼくはこの「股旅」のDVDを所蔵しているので、折を見て確認のために観返してみようかと、この文章を書いていて思ってみたりする。

 

股旅 [DVD]

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お次のフランケンは、怪物屋敷では主に力仕事、場合によっては怪物太郎の守護を担当している。

 

VCD 怪物くん フランケン(ノンスケール PVC製塗装済み完成品)

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買い物に行ったり家の修理をしたり、方向性としては狼男がお母さんだとすれば、フランケンはお父さんといったところであろうか。その怪力が活かされるのは家事だけではなく、もちろん三人の中では一番の戦闘向きであるが、その反面とても心優しい人物である。

 

このフランケンのモデルは、もちろんみなさんもよくご存知の通り、

 

メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」(Frankenstein)に登場する、例の人造人間である。

 

フランケンシュタイン (新潮文庫)

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フランケンシュタインとは何か: 怪物の倫理学

フランケンシュタインとは何か: 怪物の倫理学

 

 

ちなみにこの小説の原題は「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」(Frankenstein: or The Modern Prometheus)という。

 

さてここで、前述のドラキュラという固有名詞と同じくよく間違われがちなのが、このフランケンシュタインという名前は、この物語に出てくるヴィクター・フランケンシュタインという科学者の名前であって、あくまで人造人間の名前ではない。ここはよく間違われがちである。ぼくの知る限りだとフランケンシュタインの造り上げた人造人間には名前はなく、一般的には「フランケンシュタインズ・モンスター」あるいは「フランケンシュタインズ・クリーチャー」などと、なかなか差別的に呼ばれている。

 

さて、「怪物くん」のフランケンの話に戻ると、彼は「フンガー」という言葉しか発しないことを特徴としている。

 

このフンガーというのは、どうやらドイツ語をベースにして取り入れられているようである。おそらくはヴィクター・フランケンシュタインがスイス出身で、のちにドイツで自然科学を学んだという設定にちなんでいるのかもしれない。ちなみにフンガーとはドイツ語で「空腹」を意味する言葉だそうだが・・・おそらくそれはあまり関係のない事柄であろう。「怪物くん」の中でのフランケンが、いつもいつも「ハラヘッタハラヘッタ」などと言っていた記憶はぼくにはない。

 

そして最後に今回のメイン、ドラキュラであるが、彼の怪物屋敷での主な担当はといえば、怪物太郎の教育係である。

 

VCD ドラキュラ(ノンスケール PVC製塗装済み完成品)

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ドラキュラは「怪物魔物学」という学問を研究する学者であり、その豊富な知識ゆえに、おそらくは怪物大王から怪物くんの教育係を任されたのであろう。そして彼はドラキュラというくらいなので吸血鬼なのであるが、人間界では吸血行為を禁止されており、いつもトマトジュースを飲んでいる。果たしてトマトジュースが血液の代わりになるのかは知るところではないが、吸血鬼であるドラキュラにとっては、禁煙や禁酒のレベルではなく、すさまじく厳しいルールに違いない。「怪物くん」の中では、時々我慢できなくなったドラキュラが人間に飛びかかるようなシーンがあったような記憶もあるが、定かではない。

 

さらにはドラキュラは吸血鬼なので弱点も多く、皆さんおなじみ、ニンニクと十字架と日光にはめっぽう弱く、そしてもちろん銀製のものでの攻撃にも弱いのだが、基本的には不死であるため、その他の攻撃によっては死ぬことがないようである。

 

さて、ほか二人と同様にお決まりの言葉遣いの件であるが、

 

ドラキュラは自分のことを「あたし」と呼び、語尾に「ザンス」あるいは「ザマス」を付けることを特徴としている。

 

藤子不二雄漫画、あるいはトキワ荘メンバー漫画の中には意外とドラキュラと酷似した言葉遣いのキャラクターが多いと感じるのは、もしかしたらぼくだけではないだろう。例えば、赤塚不二夫の「おそ松くん」に登場するイヤミや、もしくは藤子・F・不二雄こと藤本弘の「ドラえもん」に登場するスネ夫のママなどは、どちらもドラキュラのしゃべり方に一部酷似する点が見受けられる上に、なんとなく容姿も似ている気がする。

 

と、映画の話からは脱線続きで、長々と「怪物くん」に登場するモンスター三人組のことに触れてきたが、

 

最後についでのついでで、アニメ版「怪物くん」の話をほんの少しだけさせていただきたい。

 

ぼくはアニメ版「怪物くん」のエンディングテーマがめっぽう好きで、いまでも一番ならフルコーラスで歌える気がする。まあまったくどうでもいい話だが、ご存じの方も多いように以下のようなフレーズで始まる名曲である。

 

「フンガ〜フンガ〜フランケン、ザマスザマスのドラキュラ〜、そ〜でガンスの狼男、おれたちゃ怪物三人ぐ〜み〜よ〜♪」

 

さて、ここまできて、話がまったく迷宮に迷い込んだことに気が付く自分がいる。

 

何を隠そう、今回は吸血鬼映画の大作を取り上げるつもりなのである。そんなわけで、ある程度切り良くドラキュラまで話が及んだところなので、踵を返して元の道まで戻ろうと思う、急げ急げ。

 

では、この「ドラキュラ」という言葉がなぜ日本では「吸血鬼」とか「ヴァンパイア」の代名詞のように使われているかと言えば、

 

それはもちろん、ブラム・ストーカーの例の小説「吸血鬼ドラキュラ」(Dracula)に拠るところが大きい。

 

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

 
吸血鬼ドラキュラ (1963年) (創元推理文庫)

吸血鬼ドラキュラ (1963年) (創元推理文庫)

 

 

この「吸血鬼ドラキュラ」の中で登場するドラキュラ伯爵、このモデルとなっているのは、15世紀のワラキア公国の君主ヴラド3世、通称「ヴラド・ツェペシュ」という実在の人物とされている。ワラキアというのは現代で言うところのルーマニアの南にあたる場所であるが、実際に小説の中での設定として使われているのはこのヴラド3世の渾名であるドラキュラという呼び名と、彼の出身地であるルーマニアという部分においてだけである。前述した通称のヴラド・ツェペシュという呼び名もドラキュラという渾名と同じようなものであり、日本語に訳すと「ヴラド串刺し公」というような意味である。

 

余談ではあるが、この小説執筆時の仮のタイトルは、「吸血鬼ドラキュラ」ではなく「不死者」(The Un-Dead)だったと言われている。またこの作品は、この「吸血鬼ドラキュラ」以前に書かれた吸血鬼小説、シェリダン・レ・ファニュの「カーミラ」(Carmilla)からの影響が大きく見られる。

 

女吸血鬼カーミラ

女吸血鬼カーミラ

 
吸血鬼カーミラ (創元推理文庫 506-1)

吸血鬼カーミラ (創元推理文庫 506-1)

 

 

さて、ここで小説の内容について詳しく語ってしまうと、今回取り上げる映画の内容そのままになってしまうので、言及は差し控えさせていただくが。

 

まあこのブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」が大いに世に広まったことで、吸血鬼=ドラキュラという図式が、おそらくは特に日本において根付いてしまっているのだと思われるのである。

 

この「吸血鬼ドラキュラ」は、その後も実に多くの映画の原作として用いられたり、あるいは多くの派生作品を産み、また多くの作品に影響を与えていることは、ここでわざわざ言及することではないのだが、そんなドラキュラ映画、もしくは吸血鬼映画の中でも、ぼくの最高に大好きな作品を、取り上げてみたいと思っているのが今回である。

 

そんなわけで、今回の吸血鬼映画は、ついに「ドラキュラ」(Bram Stoker's Dracula)である。

 

 

さてさて、「怪物くん」の話にうつつを抜かしていたら、映画の話に辿り着く前に文章がとんでもなく長くなってしまったので・・・急遽、後編に続かせていただきたいと思うわけである。 

 

ちなみに後編はまだ書いてはいないのであるが、いずれ満を持して来る後編へ続くので、是非ご期待いただきたい。

 

お題「何回も見た映画」

 

 

 

 

月白貉