ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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未熟な煙

東京都渋谷区、午前二時四十五分

 

「ずいぶんと顔色が悪いねえ、もと同僚としては心配だなあ、ご機嫌いかがですか?」

 

あるものは腕を失い、あるものは片足となり、そしてあるものは到底人間の形とは思えないほど四肢を切り刻まれ、そしてなぎ倒されて血みどろの山と化した数十にもおよぶ感染者たちの後ろから、微かに一筋の細い煙の線が空に立ちのぼっているのが見えた。

 

背後から臨む浦島さんの頭髪が、激昂する猫の体毛のように逆立っているのが感じられた。しかしその鋭い殺気を一瞬で身の内に封じ込めた彼は、足を揃えて姿勢を正しなおすと、手のひらを上にして右腕を地面と水平に掲げ、劇場の舞台挨拶でもする役者のように声のする方に向けて軽く一礼した。

 

「これはこれはご無沙汰しておりますねえ、タジマくん、

 

いや、いまはもうタジマという下らない名前は捨て去った後でしたかな、いやいや失敬、年をとるとどうにも気付くのが遅くなるようです。私もずいぶんと立て込んでいましてね、あなたのような新米への気遣いをすっかり忘れておりました、そちらこそ、ご機嫌いかがですか、ミスター・セカンド、でしたかな。」

 

ぼくの目にはまったくうかがい知れない真っ暗闇の交差点の中心から、肉食動物が発する威嚇音のような鋭い空気の震えが辺りに響いたかと思うと、ぼくの前に立つ浦島さんの数十メートル先に、鈍い光を放つグレーの燕尾服のようなものを着た若い男が闇からにじみ出るように姿を現した。その男は口にくわえたタバコを足元に吐き捨ててから、ツイストでも踊るみたいに大げさにそのタバコを踏み消し、こちらを睨みつけながらゆっくりと近付いてきた。

 

「耄碌したクソジジが、片腕でおれと殺り合うのかぁ、

 

おい、ナメられたもんだなあ、大層なこと抜かしやがって、片腕なくしてるじゃねえか、それになんだ、その後ろに控える小さな坊やは、援軍のちびっこ部隊の隊長かぁ、それとも新しい恋人かぁ、はぁ、愛する妻をなくして気が狂って趣味が変わったのかぁっ!!!」

 

「白酒さん、私から少しだけ下がっていただけますか、30メートルも下がれば十分です。」

 

浦島さんは、すぐ背後のぼくにだけ聞こえるような小さな声で囁いた。

 

「相も変わらず世間知らずの新人のままですなあ、タジマくん。

 

その格好はなんですか、お遊戯会の帰りですか、実にお似合いですなあ。ただ残念ながら、あなたのお遊戯会の余韻に付き合っている暇はいまの私にはありませんよ、そしてもうひとつ、私はあなたのようなしみったれたクソガキの同僚などではありません、たしか私の記憶では、私はあなたの教官でしたね、お間違えのないように。そして、ひとつだけ気の毒なあなたの問いにお答えするとですね、後ろに控えるのは私の相棒です、あなたなどは遠く足元にも及ばない優秀な生徒です、言うなれば。ご理解いただけましたかな。」

 

 

 

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月白貉