ダンテ日和
考えるべきことはたくさんある。
そのひとつひとつに、小さな不安と、不安よりもだいぶ小ぶりな希望がつきまとう。
昔、まだ二十代の前半に、アルバイトの帰りに雨が降り出した。
その時、別にいやなことがあったわけでもないのに、一人暮らしの家に帰るのが不安で仕方なくなって、どうしたらいいかわからなくなって、雨の中、ひとり傘をさして、いくあてもなく街をさまよい歩いた。
きょう、あの時みたいな気持ちになって、涙が出そうになった。
でもぼくはそういうことこそ大事なんだと思う。不安だってことは、そこに隠れがちな希望の欠片も、同時に手にいれてるってことだ。
きょうはひとりで外でお昼を食べて、ごはんをおかわりした。あまり美味しくない油淋鶏定食だった。
そのあとひとりで喫茶店で紅茶を飲んでケーキを食べた。春の午後の光が差し込む、窓際の席。アッサムを飲みながら、バナナシフォンを食べ、古いSF小説を読んだ。机の上に何匹も蟻が迷い込んできて、二匹潰した。潰した蟻を片付けようと思っていて、うっかり忘れて机の上に放置してきた。
その後、イタリアの詩人の名のつく喫茶店にうつり、ブレンドコーヒーを飲んで、古いSF小説の続きを読んだ。
客はぼくひとりだった。薄暗くて静かで、そして禁煙で、居心地のよい喫茶店だった。マスターは店に溶け込んでいて、誰もいない空間みたいだった。
生き方を変えることが、難しいという人もいる。
それはたぶん、不安をきちんと不安だと認識が出来ていないからじゃないか。きょう、なれないことをして、一日中不安だった。あの頃よりは、自分が不安定なことを、わかるようになったかなあ。
幸福なりし日を回想するより大いなる苦しみはなし。
- ダンテ 「神曲 - 地獄編五曲」 -
月白貉