ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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幼脈

彼が眠ってしまうと、ぼくはキッチンで夕飯の支度に取りかかる。

 

今日の献立の予定を頭の中に思い浮かべ、まずは冷蔵庫をあさりながら料理のイメージを膨らませてゆく。

 

豚バラスライスともやしと、そのほか冷蔵庫に残った野菜を使って何か炒めものを作ろう。いためものに合わせて、卵とトマトを使ったあっさりめのスープも作ろう。

 

そんなことを考えながらしばらくキッチンで作業をしていると、気が付けばぼくの部屋には、もう太陽から飛んできたあたたかな光は届かなくなっていた。そばに置いていた携帯電話の時計を見ると、「17:37」という表示が点滅している。ぼくは、今日家にやってきた小さな植物のことが気になり、彼の眠っている窓際に行ってみると、太陽の光が差し込まなくなった部屋の中は、薄い青色の絵具を流し込んだような色に染まっていた。そして彼はまだ、静かな眠りの中にいるように見受けられた。

 

ぼくが静かに窓際に近付き、彼を起こさないようにゆっくりとカーテンを閉めようとすると、

 

「カトバルといいました・・・」

 

眠っているのかと思っていた彼が、突然小さな声でしゃべり出した。

 

「かつてぼくには、とてもとても背の高い、やさしいともだちがいました。でもそのともだちはある日、巨大なノコギリのような機械で、腰のあたりをギリギリと切られ、たくさんあった大きな腕もハリハリと切り落とされ、その背の高い体と、たくさんの大きな腕は、どこかに連れて行かれてしまいました。後に残ったのは、その背の高い体をがっしりと支えていた、ぼくのともだちの腰から下だけでした。ともだちの名前はカトバルといいました。カトバルは、腰を機械で切られている時、いままで聞いたことのないような恐ろしい悲鳴をあげて、救いを求めていました。」

 

そこまで話すと、彼の体はぶるぶると震えだした。

 

窓は閉ざされていて、外の風などは入ってこないはずの真っ暗な部屋の中で、まるで嵐の前触れに吹く不吉な風に吹きつけられるように、彼の体は絶え間なく震え、次第にその震えは激しくなるように思われた。

 

「ぼく、ぼくは、それを彼の足もとでずっと見ていました。ギリギリという、機械の唸り声と、カトバルの悲鳴で、ぼく、ぼくの体は凍りつき、動けなくなりました。そして身動きが取れずにいるぼくの頭上から、カトバルの体の切れ端が、まるで嵐の日の雨粒のように降り注いできました。しばらくすると、小さなぼく、ぼくの体は、カトバルの肉片や、カトバルのちぎれたたくさんの小さな腕に埋もれていました。そのあとは、よく覚えていません・・・」

 

ぼくはしばらく、彼の話を何も言わずに聞いていた。

 

植物は<知性>をもっている―20の感覚で思考する生命システム

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植物の体の中では何が起こっているのか (BERET SCIENCE)

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月白貉