ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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『血塗られた携帯電話』(Blood in the Mobile)

「血塗られた携帯電話 Blood in the Mobile」というドキュメンタリーを観た。

 

 

「アフリカのコンゴで残虐な行為を繰り返してきた武装グループが、コンゴでの鉱物の採掘と輸出に関わっており、まさにその鉱物がスズやコルタンに加工され、携帯電話に使われている。」

 

上記の内容を含む国連の報告書を読んだデンマークのジャーナリストが、コンゴ山奥の採掘現場を命がけで取材し、その現実を大手携帯電話メーカーであるノキアに問いただすという内容である。

 

ジャーナリストの問い合わせに対してノキア側は、担当者が不在だとか終日会議だとかという嘘の言い訳を使いまったく取材には応じず、最終的にやっとつかまった広報担当者は、

 

「難しいが、改善に努力します。」

 

といったいい加減な言葉を発して、そのドキュメンタリーは幕を閉じていた。最後のカットでノキア側の担当者が発した言葉が、すべてを物語っていた。

 

毎日のように落盤がおきる坑道で労働を強いられている若者たち。その周辺で繰り返される虐殺とレイプ。自分が使っている携帯電話が、そんな現実の上に作られているということ。

 

このドキュメンタリーが作られた時点で、そのような背景を抱える鉱物を使っていないと明言している携帯電話メーカーは、世界には存在しないという。

 

日本でもあたりまえのように使われている携帯電話、自分がそんなことに加担していると思って使っている人なんていない。ぼくだってそうだった。ではやっぱりそれは大きな問題だ。

 

携帯電話に限ったことじゃない。格安で販売されている衣料や、食品や、現在、日本で売られている物の多くには、確実にそういった背景が隠されているはずである。もちろんいま現在、ぼく自身だって気付かずにその多くに加担している可能性も大きい・・・しかし、しかしだよ、そういうことってやっぱり狂っていると思う。

 

 

 

 

 

 

月白貉