ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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血液

「白酒さん、もしあなたなら、愛する人に何を贈りますか?」

 

浦島さんはそう言いながら真っ黒いハンカチで両目を握りつぶすようにおさえていた。

 

真っ黒いハンカチの一部が、真っ黒よりもさらに、もっともっと深い黒色に、そして真紅に染まっていた。

 

「愛する人に贈るものですか?」

 

とぼくが言うと、浦島さんは顔にへばりついた右手と真っ黒いハンカチごと、首を横にふった。

 

「贈るという言い方は間違っているかもしれませんね、正確に言うと、あるいは私なりにいうと、『愛する人に何をあげますか?』ということです。私は贈ってもいないし、捧げてもいない、私はあげたのです。白酒さん、あなたは、あなたなら何をあげるのだろうかと、私はそうふと思い立って、そしていまあなたに聞いているんです。あなたにはいま愛する人がいて、あなたはその人のことを本当に愛しているはずだ、それは白酒さん、あなたの皮膚に浮き出ている血管の色を見れば、ある種類の人々には炎を身に受けるよりも明らかにわかることです。だから私はあなたに聞いてみたいのです、いったい愛する人に何をあげるのかと。」

 

汽車の揺れとはまったく関係のない振動が、浦島さんの身体を狂ったように激しく揺さぶっていた。

 

「ぼくは、たぶんですが、浦島さん、たぶんですが、ぼくは命をあげます、ぼくの命です。」

 

浦島さんがハンカチをずり下げると、その両目はもう何百年も前からそうであるかのようにぼくの両目を見ていた。浦島さんの両目は真っ赤に染まっていた。それは充血と呼ばれる現象ではなく、赤黒い血液のようなものが目から溢れ出ていて、それが目の周囲にジャムみたいに固形化してうごめいていた。

 

「命をあげれば、あなたの命はない、あげてしまうんですから。

 

じゃあ白酒さん、あなたはどうやって生きてゆくんですか、どうやってその肉体をつなぎとめてゆくんですか。それはあなたの命だ、誰かに軽々しく、いや軽々しくではないにせよ、命をあげることなんてできないはずです。誰かのために命を失うとでもいうことですか、自らの命を。」

 

ぼくは一瞬、浦島さんの目の呪縛を振り切り、自分の膝の上に置かれたアカギレだらけの拳に目をやった。

 

「ぼくは自ら命をうしなったりはしませんし、命を捨てたりもしませんよ、浦島さん。もちろん誰かのために死ぬなんてことはしませんよ、浦島さんは知っていますよね、ぼくはそんなことはしない。だって、ぼくは愛する人に命をあげるかわりに、愛する人の命をもらいますから。」

 

 

 

 

血液の物語

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血液の闇

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月白貉