ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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鎮守の沼にも蛇は棲む

ぼくが小学三年生の時、クラスでのもっぱらの話題は、学区内に鎮座するある神社での噂だった。

 

「きのうも加藤くんが白山さんで“モンガー”をみたって!」

 

「また“モンガー”が放課後に神社にいたって。」

 

「神社の裏の森の祠に触っちゃダメだって、“モンガー”に連れ去られるよ。」

 

ぼくの小学校には用務員としてひとりの老人が務めていた。今思えば老人というほどの年齢だったかどうかは定かではないのだが、子どもたちにとってはある程度の年齢を超えた大人が「おじさん」であろうが「おじいさん」であろうが、そんなカテゴライズはどうでもよかった。ただ「おじいさん」と言っておいたほうが、話のネタにするにはより謎めいているだろうという子どもたちの無意識的な直感によって、彼は老人というくくりになっていたんじゃないかと思う。

 

ぼくたちはその用務員のことに関して詳しいことをほとんど知らなかった。

 

知っていることといえば、学校内で彼の姿を見かけるのは夕方の4時を過ぎた頃に限られているということ、その時間以外に学校内で彼の姿をみたという話は聞いたことがなかった。そしてもうひとつ、学校外で彼を見かける場所が噂されていた。

 

「白山さん」と呼ばれる神社の境内とその裏の森の中で、犬を連れた彼を目撃したことがあるという話をクラスの友だちからよく耳にした。

 

彼の名前は何というのか、彼がどこに住んでいるのか、もっと言えば彼が本当にぼくたちの学校に用務員として勤務している人物なのか、ぼくたちは知らなかった。

 

ぼくたちは彼のことを「モンガー」と呼んでいた。いつからそう呼ばれているのかはわからないし、誰がそう呼び出したのかもわからないが、小学校の生徒たちの間では当たり前の共通語となっていた。

 

モンガーは夕方の4時が過ぎると、学校の正門付近に姿を現した。もちろん夕方の4時ともなると生徒の多くはすでに帰宅している時間帯だった。だからモンガーを目撃するには何かの理由でその時間まで学校に残っている状況がなければならなかった。もちろん授業もクラブ活動も終わってから、学校の校庭で夕暮れ時まで遊んでいる生徒も少なからずいたし、ぼくもそんな時にはモンガーの姿をよく目にした。 いつも上下カーキ色の作業服を着ていて、その両手の片方には大きな竹ぼうき、片方には鉄で出来たちり取りを握りしめている。角刈りの白髪で背は低くずんぐりとしている。足が極度のO脚になっていて腰も少し曲がっていた。その風貌は、髭こそ生えていなかったが天空の城ラピュタに出てくるポムじいさんのそれによく似ていた。

 

「はやくけーれ!はやくけーれっはー!」

 

校内に人気が少なくなった夕暮れ時、生徒たちのほとんどが帰宅してもなお学校に残っていると、モンガーが現れて早く帰れとその生徒たちを追い立て、最後に正門にある錆びついた大きな鉄柵をガラガラと閉めるのだ。

 

「ハヤクケーレ!ハヤクケーレッハー!」

 

モンガーが口から発している言葉を、ぼくたちはそれ以外聞いたことがなかった。そしてその言葉を発している時のモンガーにぼくたちが何を話しかけてもまったく通じず、モンガーはただその言葉を念仏のように連呼しながらぼくたちをズシズシと追いかけてきた。そのモンガーの習性にある程度慣れてくると、追いかけてくるモンガーに罵声を浴びせかけてふざけながら逃げまわることをスリリングな遊びにしていたやんちゃな友だちも何人かいて、何度かぼくもその遊びに参加したことがあったが、実際のところどんなにその状況に慣れていても、ただただ無心にこちらに近づいてくるモンガーへの恐怖を払いきれなかった。

 

The art of spirited away―千と千尋の神隠し (Ghibli the art series)
 

 

 

 

 

 

月白貉