ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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その向こうに見えるもの

ここ数年でめっきり眼が悪くなった気がする。

 

中学生くらいまでは、確かぼくの視力は2.5はあったんじゃないかと記憶している。

 

それがいつの間にやら急降下して、今では家でテレビを観るのにも眼鏡を探すまでになってしまった・・・。

 

昔は視力が低下するなんて、どこか遠い国のおとぎ話のように感じていたのになぁ・・・何だか悲しい現実だよ。

 

そういえば以前、ある友人がこんなことを言っていた。

 

「眼が悪いと、世界がもっときれいに見えるかもしれないよ。」

 

って。

 

そう言われてみれば、電車の窓から眺める遠くの街の灯りは、今のぼくには幼い頃に見た花火のようだ。ぼんやりとした沢山の光の粒が遠くの方で柔らかく瞬き、そして遠ざかるに連れて、どこかへ消えていく。

 

ちょっとした考え方の転換で世界はいろんな姿を見せてくれんるんだなぁって思った。

 

でも、視力が落ちてからのもっぱらの悩みは、

 

少し離れたところにいる人の表情がわからないということ。前から近付いてくるあの人は、にこやかに笑いぼくに挨拶をしているのか?それとも鬼のような形相で怒っているんだろうか?はたまた昨日の失恋の痛手に大粒の涙を流して悲しんでいるのか?

 

さっぱりわからない。

 

相手の表情がわからないと、いったいぼくはどんな表情でその人に近付いたものかと考えてしまうんだよね。まあ表情がわかる距離になるまで、知らぬ存ぜぬをよそおって、表情が察知できた時点で瞬時に対応すれば良いのだけれど・・・。

 

とまあこんな感じに、視力の低下がぼくにもたらしたものは、使い古したいくつかの眼鏡と少しの気苦労と、そして世界の違った見方なのでした。

 

 

 

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月白貉