ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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地獄のワンタッチ

押せばすんでしまうワンタッチな「ボタン」って、まったくいらないと思う。

 

地獄のワンタッチ

 

いや、いらないというか、 だめだと思う。

 

ぼくの実家の方では昔(いまでもだが)、時期によって電車のドアが自動では開かなかった。学生時代に電車通学だったぼくは、時期限定でドアを自力でこじ開けていたことをよく覚えている。いまでは夏の暑い時期や冬の寒い時期になると、降りたい人や乗りたい人はドアの横に付いているボタンを押すと、ドアが自動で開くようになっているけれど、昔はロックが解除されたドアを手でこじ開けていたのだ。

 

島根に来てから汽車に乗ると(そう島根は電車じゃなくて汽車なのだなあ。)、すべての駅では自動ではドアが開かない。降りたい人や乗りたい人はボタンを押してドアを開けるのだ。はじめて島根で汽車に乗った時にはちょっとなつかしかったが、でもなんだったらボタンじゃなくてさ、こじ開け方式にすればいいのにと思った。

 

ワンタッチが素晴らしいという悪魔的な幻想が世に蔓延っているが、あれは人間を腐らせる。ワンタッチがよいことなんか、なにひとつもない。

 

ネット上の某サービスで使われている『いいね!』っていうワンタッチボタンも、もちろんいらない。

 

書きゃいいのだよ、「いいね!」とか「いいわね、うふ♡」とか「よござんすね。」とか、「なかなかいいじゃねえか、おまえにしちゃあよお。」とか。書きゃいいんですよ。書きゃいい。なんだったら、メッセージで住所教えてもらって、直筆の手紙を送ればいいよ。

 

「拝啓、お友だち殿、初秋の候、貴殿ますますご発展のこととお慶び申し上げます。さて、先頃Facebookで語り申されている麗しき雲の情景、拝見させていただきました。誠になんとも、いいね!としか言わざるをえない心持ち故に、お手紙にてしたためさせたいただいた次第です。これをもってFacebookのいいね!とさせていただきますことを、ご容赦いただければ幸いです。何かとご多忙とは存じますが、くれぐれもご無理などなさらないよう、ご自愛くださいませ。」

 

というような手紙が送られてきたら、なんと感動することだろうか。

 

適当に「いいね!」ボタンばかり押してたら、地獄の亡者のように腐りますよ。

 

 

 

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