ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ある日の共犯者たち

とある日の出来事。

 

用事を終えて深夜バスに乗るべく、ある駅の待合所でバスを待ちながらうだうだしていると、

 

高校生二人がその待合室に入ってきて雑談の後去っていったのだが、ふと見ると二人が座った待合所の簡易ソファーにひとりがサイフを落としていた。

 

その直後に地元の住民らしき60代ぐらいの人物が入ってきて、そのサイフをみつけるなり、

 

「サイフが落ちてるけど、だれのだろう?」

 

とけっこう大きな独り言のように言ってさってゆき、あとの状況を考えると交番に言いにいったようだったのだが、その次にすぐその場所に現れた浮浪者風の男がサイフに目をつけて、知らぬ素振りをしながらその財布の上に座ったのだ。

 

まあぼく自身もずっと目を離さず見ていたわけではないが、 明らかにその男がいなくなった時点でサイフはなくなっていて、あっ!と思ったところに警察官が二人現れた。

 

「あれ、なにもないよなあ、サイフが落ちてるって言ってたけれど・・・」

 

と二人の警察官が話している。

 

そしてその場にいた全員に向かって声をかけ出した。

 

「もうしわけありません、いまここにサイフが落ちていたとのことだったんですが、どなかた知っている方はいらっしゃいますか?」

 

と。

 

そのサイフの存在については、最初の発見者である初老の人物が声を出した時に、明らかに周囲のすべての人がそのサイフに目を向けていたことをぼくは見ていた、だから完全に全員が知っているはずなのに、誰ひとりとして知らないと言った。個別に声をかけられても、まったく知らないと言っていた。

 

ぼくはその状況に我慢が出来ず、個別に聞かれる前に手を挙げて、

 

「高校生がサイフを落としていったようだったけれど、浮浪者風の男が持ち去りました!!!」

 

と絶叫してしまった。

 

周囲を見渡すと、完全にそれを目撃していた全員の目が泳いでいる。あの時ほど「この腐れ外道どもが!!」と思ったことはない。けっきょくぼくひとりだけがその場で警察に事情聴取を受けて、その詳細を話すはめになるのだが、サイフを盗んでいった男はその時点ではいなくなっているので、いったんその物語は終わりをむかえる。

 

しかし、警察官が近くの交番に帰ってしばらく、その浮浪者風の男が現場に戻ってきたのだ!!!

 

けれど、その特別に目立っている男のことを、ぼくが大声で警察官に話しているのを聞いているにもかかわらず、誰ひとりとして我関せず、見て見ぬ振りを決め込んでいる。試しに隣にいたおじさんに、

 

「あのひとですよねえ!?」

 

と言ってみるが、

 

「さあねえ、そうかなあ・・・」

 

と目を背けられた。

 

ぼくは大きなバックパックを背で揺らしながら交番まで猛ダッシュをして、

 

「やつがもどってきました!!!」

 

と言いにいった。

 

「なにっ!」

 

ということになり、たくさんの警察官がわさわさと待合所に押し寄せ、結局、その浮浪者風の男は警察官に仲良く腕を組まれ、交番に連れて行かれた。

 

そのあとのことはどうなったかは知らない。

 

高校生にサイフが戻っていることを願うばかりだ。去り際のぼくに若い警察官が、「ご協力いただいたので。」と言いながら個人情報を求めたが、「いえ、けっこうです。」と断った、なんかやだもの。

 

さて、最後の最後のぼくの推理として、

 

ある日の共犯者たち

 

あの場にいた人々の様子がおかしかったのは、もしかしたらあの場の全員が置き引き犯のグループだったんじゃないかということだ。

 

だってその浮浪者風の男が捕まったら、なぜかほぼ全員が急に立ち上がって、そそくさと自転車で散っていったもの。

 

さて私の推理はいかがですかな、ワトソンくん。

 

 

 

見て見ぬふりをする社会

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「見て見ぬふり」の研究―現代教育の深層分析 (教育風土シリーズ)

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月白貉