ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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オニイグチモドキ(Strobilomyces confusus)- 松江城マッシュルームマップ -

きのこには「モドキ」とか「ダマシ」とか「ニセ」とかいった言葉がついた和名を持つものが少なくない。

 

ようするに「本物」に対しての「偽物」という立場におかれているきのこたちである。

 

その偽物判定がいったいどういう基準でなされているのかは、きのこ初級のぼくにはちとわからない。彼らはほんとうに偽物と呼ばれるべきなのであろうかと、いつも頭の上に疑問符があがる。

 

例えばある種類のきのこの容姿に自分の容姿を似せることによってメリットがあるため、あえて自分の体をそのきのこに似せて変形させるような進化を遂げたきのこであれば、それは大元のきのこ有りきの偽物であろうから、モドキやらダマシやらニセと言われても、ああそうかと納得がいくのだが、時間軸的にまず最初に発見されて和名が命名されたきのこがあり、その後になってから似たような容姿をもつ同属のきのことして発見されただけで、偽物呼ばわりされているきのこもあるんじゃなかろうかと思う。

 

あるいは本物と偽物の命名区分は、同種類のきのこで容姿が酷似しているものに対して、食用か否かということできめられているのかもしれないと思ったりもするし、そのルールが当てはまるきのこもあるが、いろいろな種類のきのこをみてみると、そんなこともないことに気が付く。本物も偽物も毒きのこの場合があり、本物も偽物も可食の場合がある。

 

じゃあいったいなぜ、モドキやらダマシやらニセなのであろうか。

 

というわけで、今回のハンティングきのこは「オニイグチモドキ」である。

 

松江城マッシュルームマップ - オニイグチモドキ -

 

オニイグチ科オニイグチ属のきのこで、学名を「Strobilomyces confusus」、漢字で書くと「鬼猪口擬」である。

 

その荒々しい風貌も色もまさに鬼と呼ばれるにふさわしいのだが、これがなんと「モドキ」である。ちなみに本家「オニイグチ」は、モドキよりも上品な容姿をしており、ふたつならべてどちらが鬼かと聞かれたら、ぼくはこちらに軍配をあげるに間違いはない。

 

もしかしたら、かつてはもっと優しい姿をしていた名も無き時代のこのきのこが、モドキと名付けられたことに憤慨し、

 

「だったらオニイグチを超えてやろうじゃないか!」

 

と言って、この荒々しい姿に変化を遂げたのかもしれない。そんな風だったらなんとも素晴らしいきのこである。

 

ぼくはこのオニイグチモドキの姿が大好きである。今まで見てきたきのこの中でも、いっきに三本の指には躍り出てきた。だからモドキなんて名前はちょっと哀れであると思っており、非常に同情する。

 

だから勝手に改名をするなら、「オニイグチガエシ」がよかろうと思うに至る。

 

「オニイグチ敗れたり!」と叫びながら胞子を飛ばす彼の勇姿が目に浮かぶなあ。

 

 

 

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月白貉