ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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アカイボカサタケ(Rhodophyllus quadratus)- 松江城マッシュルームマップ -

ぼくの持病のひとつに「蒐集癖」がある。

 

子どもの頃から何かと蒐集したくなる癖を持っていて、まあ子どもの頃は昆虫だったり貝殻だったり、近所の縫製工場の裏に大量に捨てられていたいろんなデザインのボタンだったりした。

 

ビックリマンチョコのシールも集めていたし、キン肉マン消しゴムも集めていたが、お金のかかるものに関して言うと、子どもなので蒐集するにも当然限度が出てくる。

 

ぼくの家は子どもの欲しいものに際限なくお金を使ってくれるようなブルジョワな家庭ではなかったし、お小遣いなるものもほとんどもらっていなかった。だから当然、お金を出して集めなければいけないものには、ぼくの幼い手は届かなかったのである。

 

大人になってしまうと自分で自由に使えるある程度まとまったお金を手にれるので、蒐集癖にお金をつぎ込みだす。書籍やDVDや洋服や食器や、そういういろんなものを実用的な用途とは別の意味合いで、コレクションとして手元に置きたくなるのである。ぼくも大人になってからは、アメリカの輸入TOYやスター・ウォーズのフィギュアにのめりこみ過ぎ、ずいぶんお金をつぎ込んだ。

 

蒐集癖がエスカレートしてゆくと同種同型のものをいくつも手元に置きたくなりだす。例えばスター・ウォーズのフィギュアだったとすれば、保存用とディスプレイ用とトレード用などと考えだし、無駄に同じものを3種類買ってしまったりする。もちろん売る側はそれを十分承知していて、そういう病気の人々を食い物にしようと新たな販売戦略を立ててくる。

 

同型同種のフィギュアで様々なバリエーションのものを発売しだすのだ。

 

ダース・ベイダーブリスターパックフィギュアを例に取るならばだ、ベイダー卿に付属しているライトセーバーの長さが違ったり、本来シスの暗黒卿が使う赤いビームのライトセイバーではなく緑のビームのライトセイバーが付属していたり、ベイダー卿のアーマーに少しだけ傷が付いている亜種があったり、果てはブリスターパックの色違いや、そこに記載された製造番号でアメリカ製か日本製かの違いがあったりと、様々なバリエーションが存在していたりする。そうなってくると、ダース・ベーダーの同型同種のフィギュアに5つのバリエーションが存在したとして、それを保存、ディスプレイ、トレード用として三個ずつ蒐集したいとなれば、全部でじつに15個もの同型同種のダース・ベーダーのフィギュアを買うことになるのである。重度の蒐集癖の患者は、もちろん発売されるすべての種類が欲しくなるので、15個全て揃えた時点で発作がおさまるのだ。流通の状況や品切れなどの理由で、それが手にはいらないなどということになると、禁断症状があらわれるのは言うまでもない。

 

流石にぼくは15個揃えないと発作が出てしまうほどの重症ではなかったし、いまとなっては「アホかっ!」と一刀両断に出来ることなのだが、蒐集癖とはそういう深刻な病気なのだ。

 

いつものように余談が長くなりすぎたが、きのこを夢中になって探しまわるのも、ぼくの蒐集癖のなせる技。まあ方向性は若干健全なものになっているが、根本的な部分ではおそらく何も変わらないのであろう。なぜならいま必死に探し求めているきのこは、同型同種の色違い、そう、バリエーション違いだからである。

 

そのカラーバリエーションがすべて欲しくてたまらないのである。

 

というわけで、今回のハンティングきのこは「アカイボカサタケ」である。

 

松江城マッシュルームマップ - アカイボカサタケ -

 

イッポンシメジ科イッポンシメジ属のきのこで、学名を「Rhodophyllus quadratus」、漢字で書くと「赤疣傘茸」である。

 

釣鐘形から円錐形のカサを持つ小さなきのこで、カサの中心に乳首状の疣を有することを特徴とする。そしてこのきのこには、同型同種のカラーバリエーションが、ぼくの知る限りだと四種類存在する。

 

今回の種類である「アカイボカサタケ」の他に、「シロイボカサタケ」、「キイボカサタケ」、そして少し名前の異なった「ソライロタケ」。

 

現在ぼくが見たことのあるのは二種類、「アカ」と「シロ」である。

 

きのこは当然、お金があれば蒐集できるという種類のものではないし、生えている場所も時間もほぼランダム、もちろんその生態から生えている場所や時間を憶測して絞り込んで探すことは出来ても、そこには大きな「運」というものが付きまとってくる。つまりそれだけ、手に入れた時の、探しだした時の満足度もケタ違いだということになる。

 

きのこを探すという楽しみを見つけて、ぼくの蒐集癖は子どもの頃のそれに回帰し始めたのである。ある意味ではより高等なものになっているし、楽しみも濃厚になっている。

 

まあそんなこんなで、あと二種類がなかなか見つからないので、そろそろ禁断症状や発作が出だす頃合い。

 

いっけん回復状態にあるかのような蒐集癖の回帰は、もしかしたら重症化に向かっているのかもしれないと、薄々知っている今日このごろである。

 

みなさんは、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

 

 

 

月白貉