ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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須田石材店のモアイ像 - 松江百景

先日、とあるインターネット上の記事で、イースター島のモアイ像の発掘調査の事が書かれていた。

 

どこぞの大学の研究チームが、年代の古いモアイ像の土に埋もれた胴体部分を発掘しているという内容だったと記憶している。

 

モアイといえば皆さんご存知、イースター島にある巨大な人面型の石像で、たしか世界遺産にも認定されている。そして上記のように、ぼくはてっきり人面だけの石像かと思っていたら奥さん、全身あるんですって、と驚いたことが記憶に新しい。

 

イースター島という名前はおそらくはヨーロッパ人がつけた名称の英語表記で、現地の言葉ではラパ・ヌイ(広い大地という意味)という。

 

ぼくの知っているモアイ知識の中で簡単に説明すると、このモアイ像については謎が多いとされている。その造形の起源や祭祀形態、何の目的でモアイが作られたのか、またモアイという名の語源など、諸説入り乱れており確固たる証明がなされてはいない。またラパ・ヌイではラパ・ヌイ語という文字が使われており、

 

その文字はロンゴロンゴとよばれているのだが、

 

その文字を記した多くの木材が、後年の現地人たちの生活物資として消費されてしまい、ほとんどが消失してしまっている。そのためこのロンゴロンゴがいったいどういう言語形態だったのかということがほとんど解明されていない。一説にはこの島を発見したヨーロッパ人たちの宣教師が、「悪魔の文字である!」とお決まりの迫害ですべて焼き払ってしまったという話もある。ちなみにヨーロッパ人の流入により、彼らが持ち込んだ天然痘が島で猛威をふるい、ラパ・ヌイ人は絶滅寸前にまで追い込まれた。そっちのほうがよっぽど悪魔だよなあ。

 

モアイ像自体についても、初期のものに関してはその多くが部族間の争いにより破壊されてしまったと言われている。

 

部族間の争いの際に、相手方の作ったモアイ像を壊すのが流行りだったようだ。

 

モアイやイースター島の謎は、資料のなくなりつつある今、完全に解けることはないのだろうけれど、そういう部分にロマンがある。死ぬまでに一度訪れてみたい場所である。

 

というわけで、モアイ愛好家として前置きが長くなってしまったが、

 

今回の松江百景は、「須田石材店のモアイ像」である。

 

日本にもよくモアイ像のレプリカがたてられているのを見かけるのだが、ここ島根にもやはりあったのである。このモアイ像は水辺にたてられており、その姿が水面に揺れる姿がなかなかの見応えである。ちなみに本家のモアイ像は海を向いてたてられているイメージが強いのだが、実はモアイ像の多くは、島の内部にある住居を取り囲むようにたてられているそうである。

 

松江百景 - 須田石材店のモアイ像 -

 

せっかくだから二体だけではなく、宍道湖沿いの人里離れた場所辺りに大いに展開したらよいじゃないかと思う。宍道湖七珍を頭にかかげた原寸大のモアイ像(全身バージョン)を。宍道湖に沈む夕日に照らされたモアイの姿はさぞ美しいことだろうし、おそらくとてもユニークな名所になること間違いなし。

 

先日、松江市内のある神社の神主さんとお話した際に、

 

「松江の観光は松江城周辺だけに特化してしまって、こっちの方にはほとんど人が来ませんわ、いろいろあるんだけれどねえ。」

 

と言っておられた。そうなのだ、ぼくは松江のほとんどの場所を歩きまわったけれど、おもしろいところがたくさんある。それなのにまったく知られてはいないし、人っ子一人いない。

 

人にあふれた観光地ばかりをおとずれるのが旅ではない。

 

旅っていうものは、その土地だけがもつ風土や景観を味わうのが本来の楽しみのはずなんだけれど、どうも日本人はそういう楽しみ方を知らないのだよなあと思う。

 

まあそんなこんなで、宍道湖に沈む夕日がモアイ像に影を落とす日を願ってやまない。

 

そういえば宍道湖七珍ってなんだっけ、

 

コイと、ウナギと、シジミと、スズキと、シラウオと、あとなんだっけ。

 

 

 

 

 

    

 

月白貉