ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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東生馬町の耳穴虚空地蔵菩薩

ある日の散策時、田んぼ脇の土手の上にふと目をやると、森を背負った小高い土手の最奥にお地蔵様のような影を発見する。

 

地蔵好きにとって、そのお地蔵様がおられる立地というのは、実に重要な鑑賞ポイントとなる。

 

そういった観点からして、あのお地蔵様は、なんてたまらぬ立地の地蔵であろうと思い、さっそくお顔を拝見しにゆくことにする。

 

東生馬町の耳穴地蔵

 

徐々に近付いてゆくに連れて、確かに地蔵であろうことが確認出来るのだが、土手の入り口には「危険」という立札が立てられていて、土手の右手には人口と思われる貯水池が広がっていて波々と水をたたえている。

 

東生馬町の耳穴地蔵

 

常々思っていることだが、立札に書かれた言葉というものは実に如何様に取ることが出来ることが書かれている場合が多い。

 

たとえばこの際の「危険」にしても、具体的な危険の主語がないために、いったいどんな危険が待ち受けているのかの判断に困るのである。

 

この土手が危険なのか、土手の横の貯水池が危険なのか、あるいはあの地蔵が危険なのかが分かりかねるため、危険に対する事前の対策を立てることが非常に困難なわけだ。土手に天然のマキビシが撒かれているため足を負傷する危険があるかもしれないし、右手の貯水池に非常識な住民が逃して成長してしまったナイルワニがいて捕食される危険があるかもしれない。

 

まあそんなこんなで危険に十分配慮しながら、土手の先に佇むお地蔵様とついに正面から向き合う場所までやって来た。

 

東生馬町の耳穴地蔵

 

なるほど、予想通りなかなかの立地にため息が漏れる。お地蔵様のところまではまだまだずいぶん距離があるが、この時点でかなりの高得点を叩き出している。この立地を見る限りでは随分昔からあの場所で結界を張っておられるのではないだろうかと予想する。このあと間近で相対した時に、さらなる驚きに満ちていることを期待しながらお地蔵様のところまでゆっくりと歩いてゆくと、ついにその全貌が明らかとなる。

 

東生馬町の耳穴虚空地蔵

 

予想をはるかに上回る見応えのお地蔵様のお姿、なんだかわけのわからぬ乾燥したキクラゲみたいな苔に全身はおろか顔までおおわれた様はさすがの迫力である。

 

とくに顔面の苔の配置など絶妙極まりないく、下から見上げるとミノムシまで携えているあたりなど、ますます光をまして見える。

 

東生馬町の耳穴虚空地蔵

 

そんなこんなで360度お地蔵様の周りを回りながら鑑賞を続けるぼくは、あることに気が付く。おや、このお地蔵様の耳・・・。

 

東生馬町の耳穴虚空地蔵

 

なんとこのお地蔵様の耳には、深々とした穴があいている。

 

しかもよくよく覗いてみると尋常ではない深さである。この深さ、まさかこの穴は虚空につながっているではないかと思わせるものである。

 

いやいやはるか遠くから眺めた時から、この虚空な耳の穴に至るまで、なんというスリリングな地蔵観察であっただろうとにんまりしながら、ぼくこの土手をあとにした。

 

地蔵好きとしては、ぜひ鑑賞していただきたい一体である。こういう場所のお地蔵様は、いつなんどきお姿をお隠しになるやもしれないので、今のうちにね。

 

東生馬町の耳穴虚空地蔵

 

 

 

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