ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

2018-01-29から1日間の記事一覧

ヤギの、呪詛日記。

唐突だが、ぼくが死んでも葬式なんかしなくていいし、体を焼いたあとの遺骨とか遺灰を墓なんかに入れなくていいから、川か海にでも流すか、あるいは原野や山岳地帯にでも捨て去って欲しい。 そうすれば、水や風がいずれぼくを何処かに運びさるだろうから。 …