ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2017-09-06から1日間の記事一覧

聴唖のもの

「ケンジ、おまえあのこと誰かに話したか?」 「話してないよ、だって話したって誰も信じないだろ。」 「ユキトは話したのかよ?」 「いや、話してはいないんだけど、昨日ネットで調べてたらちょっと関係ありそうなことをブログで書いてる人がいたんだよ。」…

盲目のもの

秋を目の前にしたある日曜日の夕暮れ時、私は妻に頼まれた買い物をするために近所のスーパーマーケットに歩いて向かっていた。その途中、地元で黒山道と呼ばれている小さな切り通しの道に差し掛かると、木々に覆われた薄暗い道のど真ん中に、キツネ色の短パ…