ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2017-06-25から1日間の記事一覧

超絶激しい環境の変化を経験すると、人間のウ◯コは虹色になる日記。

今日はとあるイベントのお手伝いでカメラマンを務めて久しぶりに大量の写真を撮り、けれど大して動いていないにも関わらず、なかなかぐったり疲れて帰宅した。 ここ数年は1日2食で、基本的に昼ごはんは食べないし間食もまったくしないのだが、今日はイベント…

名も無き太古の森の超常性に捕らわれた男、ロルカン・フィネガン監督『ウィザウト・ネーム(原題:WITHOUT NAME)』

森というのは癒やしの場であると同時に、圧倒的に恐ろしい場所でもある。 ぼくは山の中の道なき道を歩き回るのが好きで、かつて山間の小さな集落で暮らしていた頃には、頻繁に山に分け入っていた。その周辺はちょっと独特の文化と歴史を持った場所であり、現…