ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-07-23から1日間の記事一覧

ぼくが、小説を書く、ということ。

ぼくはこのウェブログで、小説のようなものを時折、書き連ねている。 厳密なる小説の定義はさて置く。ぼくの書いている文章が小説なのかどうか、そんなことは実はどうでもいいのである。誰かが読んで満足する部分があれば、それもよし。不満があるなら読まれ…

午後0時なので、誰かしら読むであろう、本当は怖い普通の階段の怪談。

まだ前の話をお読みいただいていない方、この話には前があります。まあ、いまは午後0時、昼の日中ですから、もうすでにお読みのことと思いますがね。 店長の名前は伊坂ユカ、ご亭主の名前は伊坂ダイキ、二人ともぼくより少し年上で、ユカさんが働くこのカラ…

午前0時の鐘がなり、誰も読むはずがないけれど、本当は怖い階段の怪談、草木も眠る続きへようこそ。

まだ前の話をお読みいただいていない方、この話には前があります。まあ、もう午前0時ですから、草木も眠りますし、誰も読んでいるはずがありません。 「電気・・・スイッチ・・・付け直してみたら、どうかな・・・。一回消して、また付け直してみたら・・・…