ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

2016-03-05から1日間の記事一覧

綺麗な梅は数多にあれど、見るなら路傍の密かな花が、兎にも角にも宜しかろう

数日前の買い物の帰り道、いつも通る道端の薄汚れた古い団地の片隅で、うっすらと色付いた梅の花がひっそり咲き始めていた。 桜もそうだが梅もそうで、ぼくはわざわざその為だけに時間をとって、例えば世間で名所だと言われているような場所まで花を愛でに出…