ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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いつか彼方の、ギターレ交換(仮)日記。

ギターを練習していた頃があった。

 

まったくの独学で、何もわからないまま、ギターを練習していた。だだっ広い公園の誰もいない芝生の上に座って、何度も何度もワンフレーズだけを繰り返していた。

 

なぜギターを練習していたのかと言えば、あの時ぼくは、とあるパンクバンドのボーカルを任されてしまって、「ギターが弾けたらいいよね」って言われたから。

 

ピストルズグリーン・デイのコピーなんかを歌っていたことを思い出す。

 

でも、バンドも、そしてギターの練習もすぐにやめちゃった。

 

だからギターはまったく弾けるようにはならなかった。

 

歌うのは好きだ、今でも、今からでもギターを練習しようかなって思うことがある。

 

ぼくは、いろんな時間軸が変則的で、だれにも干渉されない、誰にも干渉されたくない自分だけの時間軸をもって生きている。だから、何かをする時期が早いとか遅いとか、そういうことはほんとうに馬鹿げていると思う。

 

自転車に乗れるようになったのも、すごく遅かった、それでずいぶんバカにされた。でも今は乗れる。

 

はじめて恋人が出来たのも、たぶん、多くの誰かよりもすっごく遅かった。ひとりぽっちの孤独な学生時代を過ごし、その後も大いにしばらく、孤独を過ごした。

 

テレビも観ないし新聞も読まない。世間のことなんか、どうでもいいのさ。

 

そんなことよりも、もっと大切なことは、ほんとうにクソの山ほどある。

 

正直に言えば、世界平和なんてものは、大方茶番じみていて、それはぼくの時間軸の中では、もしかしたら自分以外の誰かを幸せにすることなんて出来ないんじゃないのかって、この頃思うからだ。ましてや世界を平和にするなんて、そりゃあもちろん世界が平和であるに越したことは無いかもしれないけれど、いったいなにをもって、「世界が平和」だと言えるのかってこと。

 

抽象的な、いや、ボヤけた、水で薄めた醤油みたいなものを小皿に満たしてさ、それをさも自慢げに掲げて時に叫び、時にそれを飲み干して、へんな笑みを浮かべている人々がたくさん、ウヨウヨいるが、ぼくはそういう人々が大嫌いだ。

 

きょうの、孤独な日記である。

 

日記は孤独に限る。

 

でもね、今の野望は、誰かと交換日記をすること。あまりにも長く、孤独でありすぎた。

 

交換日記、募集中。

 

筋トレして、スコッチ飲んで、眠るぜ、ベイベー。