ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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悲しいけれど、光が差し込んだよ、復活の兆し日記。

前略

 

まったく心の環境が変わってしまった生活で、ぼくは朝ごはんを作ることを長い時間忘れてしまっている。

 

前日に、昆布と煮干しを鍋で水に浸し、玄米を水ですすぎ、明日の朝ごはんを想像する時間。

 

そして次の日、朝起きて、味噌汁を作り、米が炊け、目玉焼きを焼き、糠床から漬物を引っ張り出し、そういうものを中心にした朝ごはんが、この数年間の、ぼくの時間だった。

 

悲しいことがあって、心が闇に包まれて、いっそのこと命を絶とうかとも思ったと言っても過言ではないほど、いろんなことが崩れ落ちてしまった。

 

朝ごはんを、ひとりぽっちで、どうやって食べていいのか、わからなくなった。だからもう二ヶ月ほど、朝ごはんを食べていない。

 

昼ごはんは基本食べないので、流石に夜は食べる。

 

必死で、なんとか食事を用意して、食べる。

 

ここしばらくは、同じものばかり作っている気がする。たぶん、いろんなことを考える余裕が、ないのかも知れない。

 

キャベツのサラダにマスタードのドレッシング、トマトソースのペンネ、小さなオムレツ、時々、豚や鶏のソテー、そしてバゲット。安ワインをガブガブ飲んでいるが、まったく酔わない。

 

でも、夜だけは、かなりしっかりごはんを作っているかもね。

 

このウェブログも、かなりな勢いでお休みをしている。映画や小説や、その他の下らない日々を綴りたくはあるのだけれど、手も、そして心も動かないのだ。

 

みどりの小野さん、ありがとう、あなたの言葉で、少しだけ文字を綴ろうと思えるようになりました。

 

言葉では言い表せないほど、すっごく、ありがとう!と、思っています。

 

いま、泣いています。 

 

あと少しで、たぶん、また物語が綴れるようになるかもしれません。くだらない話や、自己満足な映画の話ができるかも知れません。

 

それは、たぶんあなたの贈ってくれた言葉の力です。

 

月に届くほどの感謝を込めて。

 

 

月白貉