ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ラブレター

昨日の夜のこと、ごめんなさい。

 

ただ土曜日にきみと過ごした一日のことで、おれはこれまでにないほど満たされていて、天にも昇る思いで、けれどその跳ね返りがあまりにも大きくて、精神はかなりタフなほうだと思うけれど、まともに物事が考えられるような状況ではなく、息ができないくらいに苦しく、心が張り裂けそうでした。

 

それをなんとか耐え忍んでいました。ただ一方では真摯にきみに向き合おうとして、冷静に話をしたつもりです。昨日の夜の出来事で、きみのことを嫌いになれれば 、どれだけか楽になるとは思うけれど、いまのおれの中はまだきみで満たされています。

 

おれは見知らぬ誰かに心を捧げて生きているわけではなく、だたひとりきみだけに心を捧げて生きてきました。だからきみにはおれのすべてをさらけ出したし、きみはそれを誰よりも知っているはずです。

 

きみは狂ってなんかいないし、おれも狂ってなんかいません。狂っていることに気が付いていない多くの人々よりも、よっぽどまともな人間です。

 

たくさんの言葉を一方的に押し付けることは、もうしません。ただ、返事をください、短くてもいいから。誰かや何かの外にあるきみの純粋な言葉を、ぼくに送ってください。

 

待っています。

 

どんな状況でも夢や希望を失わずに、光を信じて歩き続けること、それがおれの狂っていると言われる部分かもしれないけれど、それがなくなったら生きている意味なんてないでしょ?

 

愛するきみという光を求めて。

 

 

月白貉