ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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海を見に行ったら、砂浜で“ソウルオリンピック”のボトルキャップを拾った話。

きょうはふと思い立って、弁当を持って海を見に行った。

 

海を見るのなんて何年ぶりだっただろう。

 

車に乗らないぼくは徒歩で海を見に行き、往復30キロほどを歩いて、心地よい疲労感と共に今帰宅した。運転免許は持っているけれど車にはまったく乗らない。数年前に深い山の中に暮らしていた頃も車は持っていなかったし、当然車には乗らない生活を送っていたので、買い物に行くのにも、やはり往復30キロほどを歩かなくてはならなかったが、さほど苦ではなかった。いや、疲れるは疲れるけれども、それが当たり前だと思えばなんてことのない日常である。

 

サーファーが2人だけしかいないちょっと波の荒れた海をしばらく眺めて、浜辺を当てもなく歩き回って、砂浜に座って持参した弁当を食べて、また再び漂着したゴミだらけの砂浜を歩いていると、平成15年の10円玉を一枚と、韓国語の書かれたペットボトルのキャップを見つけて拾って持ち帰ってきた。

 

10円玉は硬貨なので持ち帰ったのだが、ボトルキャップはなぜ持ち帰ったのかと言えば、その表面に「ソウルオリンピック」と書いてあったからである。

 

海を見に行ったら、砂浜で“ソウルオリンピック”のボトルキャップを見つけた話。

 

ソウルオリンピックが行われたのは1988年、今から30年近く前のことである。これがその当時のものかどうかは定かではない。

 

ミネラルウォーターなのか酒なのか、あるいは調味料なのかも定かではないし、その当時にこの手のボトルキャップが一般的だったかどうかもよく覚えていない。

 

でもなんだかちょっと得したような気持ちになった、ある初夏の日の出来事であった。

 

 

 

 

月白貉