ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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もしもし、電話日記。

「なぜ電話を掛けてきたの?」

 

という問いに対して、ぼくはもちろん、こう答える。

 

「きみに愛していると、そう言いたかったから。」

 

電話の用件なんて、電話で伝えるべき言葉なんて、それ以外にあるだろうか?

 

誰かに「愛している」と云う以外に、電話の使い道なんてあるのだろうか?

 

日本人はそういう、大切なことを、完全に忘れている。

 

だから、電話を使った悪質な詐欺が横行しているのかもしれない。

 

だからね、電話の本当の使い方がわからないなら、電話なんか使わなければいい。

 

電話の用途を簡潔に言えば、特定の唯一人に、愛しているとだけ、それだけ伝える道具だよ。

 

だからぼくは、この数年間、ほとんど電話は掛けないし、電話には出ない。

 

愛している人は、すぐそばにいて、電話なんか使わなくても抱きしめてキスが出来るから。

 

余計な電話には一切出ない、使い方が間違っているから。

 

電話は不安を埋める道具ではない。愛を伝える手段だと思う。

 

ぼくも間違って使っていたよ、今までは。

 

 

月白貉