ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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寒い日の、寒い日記。

この日本の冬という季節に、暖房器具を一切使わない生活を送りはじめて数年経ち、時々死ぬかと思うほど寒いが、まだ死んでいないので、それほど、言うほど、寒くはないのではないかと、理解しはじめている。

 

ただ両の手は霜焼けで負傷している。先日ぼくの手を察した見ず知らずの女性に、「手が異常に荒れているけれど・・・?」と言われたので、「霜焼けです。」と言い返すと、「霜焼けというよりは、凍傷ですね・・・、」と言われたので、その言葉で状態はお察しいただけるに違いない。

 

皮膚が裂け、紫色をしているから、ね。

 

昨日から大雪、部屋の中は吐く息がフロストドラゴンのブレスばりであることは言うまでもない。

 

日本でも地域によっては冬季に火をたかなければ死ぬだろう。

 

ここ(ぼくの家周辺)は火をたかなくてもかろうじて死なない地域なのだと、勝手に思っているが。

 

例えば暖房を電気に頼っていたり、照明や煮炊きなども電気やガスに頼っていた場合に、インフラが落ちたら、相当の人々が死ぬだろうと思う、それは肉体的にというよりも先に精神的に死ぬと思う。しかしながら病は気からと言うべくして、心が折れたら体が死にますよ、の如くであろう。

 

そういうことをどうにかするのことが、つまり、サバイバル術こそが必要だと、生きる上で先決だと、ぼくは思う。インターネットに詳しいよりも、極寒の地で遭難した際に、あるいは灼熱の禍々しきジャングルで道に迷った際に、いかに生き延びるのかが、人生の課題だと思う。

 

ぼくはそう思う。

 

実践がないだけに、妄想サバイバルだが、つまり北極圏踏破もしていなければ、南米アマゾン未踏地に足を踏み入れたこともないけれども、心意気は、という雑談である。

 

しかし、部屋が寒すぎる。寒すぎるのでワインをがぶ飲みしているが、ワインでは無理。そしていま、家には強い酒がない。

 

だから死ぬだろう。

 

かしこ。

 

 

 

月白貉