ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ヤギの、呪詛日記。

唐突だが、ぼくが死んでも葬式なんかしなくていいし、体を焼いたあとの遺骨とか遺灰を墓なんかに入れなくていいから、川か海にでも流すか、あるいは原野や山岳地帯にでも捨て去って欲しい。

 

そうすれば、水や風がいずれぼくを何処かに運びさるだろうから。

 

まあ極論を言えば焼かなくてもいい。倒れた場所でドンドコ腐っていずれ朽ち果てるだろうから。

 

これは俗に言う公開型の独り言遺言であるが。

 

ぼくは仏教徒ではないし、その他の宗教を信仰しているわけでもない。墓参りとか神社に参拝とか、かつてはあまり意味も理解せずに、仏教と神道を混合したような行為をしていたけれど、最近めっきりどちらもしていない。ただ寺院とか神社を見かけると必ず中に入りたくなるのは、おそらくは民俗学的な好奇心からである。

 

無意識に信仰しているかも知れない宗教があるとすれば、それは大凡自然に対する畏敬の念、つまり自然崇拝的なものであろう。

 

他の国はどうか知らないが、日本は宗教のビジネス化が極めてえげつないように感じる。信仰というものは、例えばだが、結婚式とか葬式に大枚を叩くことではないはずである。今に始まったことではないが、本質がねじ曲がってしまっている。

 

さて、今日は手短に、今日起きた最大の出来事を書いて終わりにしたい。

 

何だが朝からやけに便秘気味だったのだが先ほど解消された。しかしことを済ませたあと、いつもと大きく違って、ヤギのウンコみたいな臭いがしたので、そして物自体がデカいヤギのウンコみたいだったので、大いに「ゾッ」とした。

 

完全に誰かに呪詛をかけられている可能性があるので、呪詛返しをしなければなるまい。

 

これからそのヤギのウンコみたいなものを、タッパーに入れて川に流しにゆく。

 

今日は疲れちゃったので、このくらいのことしか書けない。

 

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月白貉