ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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いつか訪れる、夢見る日記。

午前、あるひとつの映画に感動し、同時に自分を責め、いままでの人生を悔いた。

 

午後、ゴーストタウンのような山の上の街を歩き、山の下の街を見下ろし、何かを思い出しつつも何かを見失い、悲しくて泣きそうになった。

 

久しぶりに、誰かの真面目な質問に対して、嘘にまみれた返答をした。

 

帰り道で歩くスピードが徐々に落ち込み、見知らぬ犬に抜かされた。

 

犬は息を切らして歩いていた。

 

家に帰ってきてありったけのスピードで夕飯の支度をした。

 

大根と人参のサラダ、ナスのマリネ、トマトとアボカドのサラダ。

 

サラダを二品作れた日はおおよそ完璧な日だが、完璧な日が素晴らしいとは限らない。

 

あとはもう、ワインを飲むだけで、この悲しい一日が終わる。

 

時々、生きていることが嫌になる。

 

けれど時々、生きていることを素晴らしく思う。

 

そのどちらでもない時間を、ぼくは今まで費やしすぎたのかもしれない。

 

誰かに正直に何かを打ち明けて、泣き崩れたい日もある。

 

誰かに心を開け広げて、湖ほどのワインを飲み明かしたい夜もある。

 

いつかそんな日が、ほんとうに訪れるだろうか。

 

いつかそんな、夢のような日が。

 

 

月白貉