ヒバゴンを追い求めて行方不明になって、いつか自分がヒバゴンになる半裸の秋風日記。
秋の夕暮れ、開け放った部屋の窓から冷たい風が吹き込み、部屋の片側には、沈みゆく日の光が欠片のようにしてはりつている。
ぼくは上半身裸で、この日記を書いている。
空に雲はなく、ただ青い。
なぜ上半身裸でいるのか自分でもよくわからないが、意味のわからないことが心地よく感じることもある。
全裸では心地よくない。秋の夕暮れの冷たさを身に感じつつも、体の一部にはぬくもりを宿していたいという、あくまでも半裸が心地よい。ただそれは意識的ではなく、気が付いたら半裸になっていた。
窓の外からシャンシャンシャンという鈴の音のようなものが聞こえてきているが、その音の正体が何なのかはよくわからない。そういう正体不明も、ちょっと心地よい。
意味不明や正体不明は、心地よいものなのである。
様々なことの意味や正体ばかりが気になって、多くの人は生きているだろう。
でも、意味や正体を知っても、ひとつも幸せなことなんかないだろう。
家の中で起こる超常現象の正体を知ったら、きっとがっかりするだろうし、それはビッグフットやネス湖の怪獣も同じだろう。
ヒバゴンの正体を追い求めはしたいけれど、きっと正体を知ったらつまらないだろう。だから正体を追い求める体を見せつつ森に入って自分が行方不明となるくらいが、心地よいだろう。
毎日食糧を摂取しなければいけない意味を考えながらごはんを食べたって、ひとつも幸せじゃないし、睡眠をとらなければいけない意味を考えながら眠ったって、ぜんぜん気持ちよくない。
真理とは、圧倒的に曖昧模糊であるに限る。
ああ、お腹すいたから、なんか正体不明なものを食べて飲んで、意味不明に踊ったりして、行方不明になりたいなあと思う、秋の夕暮れ。
もう眠い。
スースースー(寝息)
月白貉