第四章 - 兵法
前の話:第三章 - 魔女の罠
「ちょ、ちょっと待ってくれラゴちゃん、そりゃ絶対に駄目だ!ハクトを巻き込むことはできん!!食事を一緒にするのとはわけが違うぞ!」
「なんでだい?」
「なんでもヘチマもない、きみが一番良く知っているだろう!ハクトはこのことに対して何の知識も能力も持っていないんだよ。あの、あの存在に対する鉾も盾も持っていない裸同然のハクトに、そんなこと、荷が重すぎる!ハクトが、私の孫が命を落とすことだって容易に想像がつくさ・・・、現実に塩田くんは・・・、きみだってそのくらい当然わかるだろうに、なぜそんな無茶なことを言うんだ!」
「あんた、しばらく会わない内に随分と小さくなったもんだねえ。あたしは何も、あんたの孫にハーフに正面切ってタイマン張って、片腕の一本でもいいからもぎ取ってみろなんてことを言ってるわけじゃないだろ、話を最後まで聞きなよ!」
「しかし、しかしなあ、ラゴちゃん・・・。」
「あんた、もちろん覚えてるだろ。あたしの息子をあんたが命を張って守ってくれたこと。あたしはあの日のこと、ひと時も忘れたことなんてありやしない。だから今日だって、あんたのSOSを聞いて、ここにすっ飛んできたんだ。こんなことであの借りは返せやしないことはわかってるよ。でもね、あの頃のあんたなら、そんな弱気なこと言わなかったはずだ。」
「でも・・・、でも私は、きみの息子を救えなかったよ・・・、」
「それはあんたのせいじゃない、仕方がなかった。そういうことだってあるわよ、だからそれはもういい、あたしはもとに戻せない過去のことを悔やんだり、恨んだり呪ってなんかいやしないよ。ただあんたはね、自分の命は顧みず必死で息子を守ろうとしてくれた、自分の両腕を失いながらもだ。」
「えっ、」
祖父は言葉をなくしてやや俯き、自分の右手で自分の左腕を弱々しく握りしめた。
「私だって、あのことを、ひと時も忘れてなんかいないさ。きみに申し訳なくて・・・、あれからずっと、苦しくて苦しくて、何度あの夢を見て、真夜中に声を上げて飛び起きたかしれない・・・。だからもし、だから、もし、ハクトが同じようになってしまったらと思うと・・・。」
「爺ちゃん、腕をって、」
ラゴは、ぼくのほうには顔を向けずにしばらくの間黙って静かに目を閉じていた。
「義手だよ、今は両腕とも特殊な義手を付けてるのさ。」
「えっ、嘘でしょ、だってどう見ても義手には・・・、おれ、爺ちゃんと風呂入ったこともあるけど、普通の腕にしか、」
「表には出回っていない特殊な技術だよ。江戸期に銀鉱山だったっていう山奥にある小さな義肢装具メーカーの今の社長が、若い頃にあんたの友だちと同じような目にあって、四肢をもぎ取られて死にかけたんだ。あたしたちの背後にある組織がその出来事に関わっていて、その人の命をなんとか助けたのさ。いまはそのメーカーが組織に協力して裏で作ってるのが、あんたの爺ちゃんが付けてる義手だ。一般には当然知られていないし、一般人が依頼しても作っちゃくれない品物だわね、なぜなら、これは向こう側の、これから相手にしようとしているやつらの技術だからさ。」
「もういい、ラゴちゃん、そのことはもう言わんでくれ。」
「あんたの孫に、人間の容れ物の話はしたのかい?」
「ああ、少しだけな。」
「そうかい。」
ラゴが閉じていた目を見開いた。
「とにかくだよ、もう一度言うが、今回あんたとあんたの孫が一緒にやってくれなきゃねえ、死ぬのはあたしになるかもしれないよ。それで相打ちになって始末が付いて、あんたへの借りでも返せたなら、あたしはそれで十分だが、ここの穴塞いだだけでことが終わるわけじゃないし、あたしはもうちょっとばかりやらなきゃならないことがある。あんたにはわかってもらえるはずと思ったがね。」
祖父は黙って左腕をさすりながら、ちゃぶ台を睨みつけていた。
「ハクト、」
「なに?」
「おまえ・・・、私が頼んだら、爺ちゃんとラゴちゃんのこと、助けてくれるか?そんなこと言われて、怖くはないか?」
ぼくは俯いたままの祖父を見ながら黙っていた。爺ちゃんに助けてくれと言われれば、それはもちろん断るわけにはいかないけれど、でも何の力も持ち得ないぼくに、ろくに涙も我慢できないぼくに、二人を助けることなんか出来るのだろうか?心の中でぼくはそう何度も呟いていた。しかしそれを、どんな言葉で口に出すべきなのかが自分でもよくわからなかった。
「顔見りゃだいたいの答えはわかるさ、なあハクトちゃん。だから顔上げて孫の顔をみてあげなさいよ。仕切り直しだ、三度目の正直だよ、つまり仏の顔も三度までってことだ。あたしの考えをもうちょっとだけ詳しく話す。」
祖父はゆっくり顔を上げてぼくの目を見た。
「ハクトちゃん、あんたには囮になってハーフを団地から遠ざけてもらいたい。ただそれだけだ。逃げてくれるだけでいい。あんた走るのは得意かい?」
「は、はい、それなりには。部活は運動部じゃないけど、自分で毎日、割とハードにジョギングしてるから、でも・・・、」
「でも、なんだい?」
「そのハーフってのは、常識的な速さなんですか・・・、今までの話だけ聞いてたら、つまり、異常な速さで走って追いかけてくるんじゃないかと思うんですが・・・?」
「そりゃあ、まだ見てないから、やってみなきゃわからないさ。」
「えっ・・・、」
「作戦なんてものは、十中八九思い通りにはいかないと相場が決まってるんだよ。だから余計なことを頭に詰め込むより、決行の瞬間まで頭空っぽにして備える。すべては自分の瞬発的な能力値と、その時の風次第だ、それをあてにするのが最強の兵法ってもんだろ。作戦を綿密に立てれば立てるほど、自分の周囲が落とし穴だらけになっちまう。そしてその内の一個にでも足突っ込んだ時点でドボン、お終いだよ。ただしだ、安心しとくれ、あんたには助っ人を付ける。その助っ人がどんなことがあろうとあんたを死守する。あんたは、ただ逃げることだけを考えて突っ走ってくれるだけでいい。」
「助っ人は、きみの純人型か?」
「そこまでは無理だね、力が分散しすぎる。ただ今日ここに来るまでに強力なやつを見つけたよ。この家の近所に神社があるだろ。そこに古い猿神がいやがった。それをハクトちゃんに付ける。もうひとりはそのすぐ近くの廃屋みたいな洋館にいた人型だ。おそらく元は西洋にいたものだと思う。姿は何故か尼の格好をしてやがるが、半ば神化していて強力だ。これを連絡用にあんたに付ける。」
「きみっ、猿神まで操れるのか・・・?」
「さすがに操れはしないさ、ただ賢い部類のやつで向こうに敵対してるそうだからね。やることだけ伝えて自主的にハクトちゃんの守護に付いてもらうつもりだ。そしてハーフが団地を、つまりテリトリーを出たところで、猿神に潰してもらうって寸法だ。」
「それで本当に大丈夫な・・・、いやすまん、もうその質問はよそう。わかった、きみを信じる。」
「やっと感覚が戻ってきたかい、うれしいねえ。もちろん大丈夫さ、あたしは見る目がある。その猿神、相当だよ。ハーフなんて一捻りだと読んでる。なんだったら下級のやつとでも余裕でタメ張るね、ありゃあ。あんなものがよくもまあこんなところでくすぶってたもんだってね、ちょっと驚いたよ。今のあんたよりは、力量がずっと上だろうよ、あんたの代わりに主戦力になってもらいたいくらいだね、ひっひっひっ。」
「やれやれ・・・、しかしそれなら心強いか。」
「ってなわけで、ハクトちゃんに最終確認だ。やってくれるかい?」
ぼくは祖父とラゴの瞳を交互に何度か見つめた。
「・・・、おれ・・・、おれ、塩田があんなことになって、だたそのことが本当に悲しいのかどうかよくわかりませんでした。そのことに怯えているのかどうかも、怖いのかどうかも、よくわかりませんでした。でも、昨日、塩田と最後に話した時、直接話したわけでじゃないけど、あいつが、今日はありがとう、って言ってました。あいつにちゃんと、あんな風にありがとうなんて言われたこと、あったっけなって、あとで思って・・・、」
涙が流れ出しそうになった。塩田の顔を思い浮かべたら、涙と鼻水が再びぼくの中に満ちあふれて押し寄せてくる感覚があった。しかし今度は、その巨大な津波のような何かに押し流されまいとして、ぼくは必死で両手をその大波に向けて突き出していた。
「おれ、悔しくて、なんであんなことに・・・、あんなこと許せなくて・・・、」
祖父とラゴが、ぼくが波に向けて突き出している両掌を強い視線で見つめているように感じた。
「やります・・・、もちろん、やります。断る理由が、どこにも見つからないから。」
「ひっひっひっ、そう来なくっちゃねえ!」
ラゴはまた、その大きな掌に付いた骨太の人差し指をズンと伸ばして、ぼくを突き刺すようにして指差した。もちろんその時、彼女はぼくに噛みつかんばかりの激しい笑みを浮かべていた。
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月白貉