ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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第二章 - 魔女の儀式

前回の話第一章 - 団地の魔女狩り

 

9月24日の日曜日早朝、南黒町団地に隣接する通称「ゴリラ公園」の公衆トイレの中で、塩田と塩田の両親、そして妹の佳子ちゃんの死体が発見された。

 

第一発見者はぼくの祖父で、祖父は前日の塩田の母親の相談を踏まえて、塩田の家とその団地の下調べに出かけた際、公園のトイレで首の無くなった四体の亡骸を発見し警察に通報した。

 

祖父の話によれば首は刃物などで切り取られたのではなく明らかに噛み千切られたような痕跡を残していたということで、トイレの床は一面おびただしい量の血液で濡れ、その空間はむせ返るような血の匂いに満ちていたという。

 

警察のその後の捜査で、同様の手口で殺されていたのは塩田の家族だけではなく、その団地にある三棟の建物の内で現在でも稼働している三号棟に入居している49人すべての住人の死体が、やはり首の無くなった状態で団地中央にある小さな空き地に掘られた穴の中に埋められていたということが判明した。またすべての死体の首に関しては、現在は入居者がなく封鎖されている一号棟の屋上で、まるで小さなピラミッドでも築くようにしてうず高く積み上げられた状態で発見された。ただその首の数は、団地内で見つかった死体を遥かに上回る369個という数で、その中には犬や猫なども含まれていた。警察では依然として団地の住民以外の首の身元を確認できていないということだったが、その無数の首の中に佳子ちゃんのものだけは含まれてはいなかった。

 

屋上で首の発見された一号棟の各所には、犯人のものだと見られる血液に濡れた素足の足跡が無数に残されていたが、それは床や階段だけではなく、廊下の壁面や部屋のドア、さらには天井や窓ガラスなどにも多数付着していた。さらにその足跡は、通常の成人男性の足のサイズを遥かに超える異常な大きさをしていた。

 

この話は公にはされていない情報だった。

 

警察はその事件の猟奇性から判断して、近隣の混乱や社会的影響を避けるために報道に関して一切規制をかけたようで、テレビや新聞などのメディアでその事件が報じられることはなかった。

 

ぼくが事件の詳細な内容を知ったのは、どんなルートで知り得たのか知らないが祖父の話からだった。

 

「爺ちゃん・・・、」

 

「うん、塩田さんのこと、申し訳ないことをした。すまなかった。おまえにも、すまなかったな。爺ちゃんが想定していた最悪を、遥かに越してきた。ただ、もしこれが予想できていたとしても、私だけでどうにか出来たかどうか。」

 

「爺ちゃん悪いわけじゃないけど・・・、でもいったい、なんなんだよ・・・、すぐ近所の話だよ・・・、おれの一番の友だちの話なんだよ・・・、」

 

その時ぼくは、何が悲しいのかさえ、何が恐ろしいのかさえよく理解できないでいた。ただそれでも、目の前の祖父がまるで凄まじい豪雨の中にでもいるようにして見えなくなるくらいに涙が眼球を覆ってからどんどんと溢れ出し、呼吸が出来なくなるくらいの鼻水が畳の上に音を立ててぼたぼたと流れ落ちた。右手と左手を交互に動かして涙と鼻水をいくら拭っても、歯を食いしばって涙と鼻水をどんなに堪らえようとしても、その時のぼくにはそれさえも出来なかった。そんなわずかな力さえも持ち得ていなかった。

 

「じ、じいじゃん・・・、じいじゃんごべん・・・、た、ただみが・・・、でも、とばらなぐて、」

 

祖父は無言のままぼくの頭にずしりと両手をのせて、ぼくの顔を自分の胸に引き寄せた。祖父の白いシャツがぼくの生温かい涙でびしょ濡れになり、祖父のズボンは垂れ落ちる鼻水でベトベトになっていた。しかし祖父はそのまましばらくの間、石像のようにしてピクリとも動かなかった。

 

「落ち着いたら、お前はもう家に帰りなさい。」

 

「でも・・・、」

 

「これ以上首を突っ込んだら、お前にも降り掛かってくる。お前が信じようと信じまいと、これは現実なんだ。いや、もしかしたら現実だと思わされているだけかもしれない。でも、結局それはどちらでも同じことだ。だからあとは、私が始末をつけるから、もう、帰りなさい。」

 

「でも、爺ちゃんが・・・、同じ目にあうかもしれないだろ、」

 

「そうだな。」

 

「そうだなって・・・、そんなのやだよ。」

 

「はっはっはっ、たしかにそれは嫌だな。でも大丈夫だ、昨日言っただろ、助っ人を頼んだから。」

 

「狩人って人だろ。」

 

「そうだ、古い知り合いでな、言わばこういうことの専門家だ。」

 

「つまり、狩人ってことは、その塩田のお婆ちゃんに化けてるやつを、狩るってこと?」

 

「うん、まあ簡単に言えばそういうことだが、その根源を絶つことの方が重要でな、まあいずれにせよ、狩ることになるだろうな。」

 

「その人は、人間なの?」

 

「はっはっはっ、私の知る限りでは、たぶん人間だと思うよ。爺ちゃんと同い年くらいの、あっ、ちょっと上かな、そのくらいの歳の女性だよ。」

 

「えっ!お婆ちゃんじゃないか・・・、だって、だってさ、人間の首引きちぎって殺すようなやつ、そんなお婆ちゃんが、狩れるの!?」

 

「年齢なんか関係ない、歳とか見た目とか、人を判断するのにそういうことばかりに囚われたらいかん。」

 

その時、家の中にインターホンのチャイムが鳴り響き、間髪を容れずに玄関の引き戸がガラガラと開く音がした。その音を耳にした祖父はぼくの肩をトントンと何度か優しく叩いてから玄関の方に小走りに向かった。ぼくは再び両手を使って何度も顔を拭いながら、祖父の後を追ってゆっくりと玄関に歩いていった。

 

「あら〜、お久しぶりだわね!ちょっと老けたんじゃないの?」

 

そこには満面の笑みをたたえた長身の老婆が立っていた。

 

彼女はまるでシルクのような真っ白で長い髪の毛を三つ編みにしていて、背の丈はゆうに170センチを超えているように見えた。そしてその出で立ちは、闇を思わせるような漆黒の上品なパンツスーツに身を包み、背中には苔むした巨大な岩石のようなライトグリーンのバックパックを背負っていた。

 

「どうもどうも、急なことで、わざわざすまなかったねえ。短い時間に風向きが大きく変わってしまって、もう私一人の手には到底負えんよ。とりあえず立ち話もなんだから、どうぞ、まずはあがってよ。」

 

「あら、後ろのイケメンはお孫さんかしら?」

 

「ああ、はじめてだよなあ、孫のハクトだよ。」

 

ぼくはもう一度両手で顔を拭ってから、その老婆に軽く頭を下げた。

 

「はじめまして、ラゴと申します、よろしくね、ハクトちゃん。」

 

ラゴと名乗るその老婆はそう言って、ぼくに向かってバチリとでも音の鳴るような強烈なウインクをした。

 

第二章 - 魔女の儀式

 

 

 

月白貉