ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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序章 - 団地の魔女

2017年9月26日火曜日、涼し気な空気を疎むようにして振り返った太陽の視線がめっぽう眩しかったこの日、ちょうど一週間前から近所を騒がせていた不気味な事件が幕を閉じた。

 

事の起こりは9月19日の夕方、南黒町にある一部廃墟と化した公営団地に隣接する雑草だらけの小さな児童公園で、団地に住む男性が巨大な老婆に噛みつかれるという事件が起きた。その時たまたま公園の脇を通りかかった同じ団地に住む買い物帰りの主婦が男性の悲鳴を聞いて現場に向かうと、公園のほぼ中央で首から大量の血を吹き出しながらうつ伏せに倒れて痙攣している男性を発見した。そしてその脇には、薄汚れた黒いローブのようなものを纏った巨大な老婆が口からどす黒い血を垂らしながらこちらを見て笑顔を浮かべていたということだった。

 

その光景を目撃した主婦は凄まじい恐怖にかられながらも、警察に通報するためすぐに携帯電話を手にすると、老婆はカラスのような甲高い大声を上げながら団地の裏手にものすごいスピードで走っていってしまったという。

 

ぼくはその事件を、その日の夜観たテレビのニュースではじめて知った。

 

ニュースでは、南黒町の公営団地に住む72歳の男性が首を噛みつかれるという事件が起き、病院に搬送されてから死亡したとのことだった。そして事件の目撃者によれば犯人は年齢が60歳から70歳ほどと見られる女性だったということで、警察は殺人事件として捜査を進めていると伝えられていた。しかし、目撃された犯人の詳細や死亡した被害者の男性の死因などについては、ニュースでは触れられていなかった。

 

9月20日、いつものように学校に登校すると、その日ぼくの隣の席の塩田が欠席していた。担任の話によれば体調不良のためだということだったが、高校三年間の今の今までずっと同じクラスだった塩田が学校を休むのは初めてのことだった。

 

その日の夜、夕食の席で母が事件のことを口にしようとすると、父がその話は食事中にするような話題ではないからやめてくれと言って機嫌を損ねた。父が早々に食事を終えて席を立った後、母は「犯人見つかってないみたいだから、あんた気を付けてよ。」とだけ言った。

 

ぼくが食後に部屋でYouTubeの動画を観ていると、Facebookメッセンジャーに塩田からメッセージが送られてきた。

 

- 今大丈夫?

 

- うん、木下ゆうか観てるだけだから大丈夫だよ、おまえ今日どうしたの?

 

- 木下ゆうかか、あれおもしろいの?

 

- いや、佐々木が観ろよっていうから、おれも今日はじめて観たけど。

 

- そっか、まあそれはいいや。おまえさ、事件の話知ってるだろ。おれの住んでる団地のゴリラ公園で老人が殺されたってやつ。

 

- 昨日ニュースで観たし、今日はもうその話題ばっかりだったよ。ってかお前体調不良ってなんだよ?

 

- いや、それは嘘なんだけど・・・

 

- まあ嘘だろうなあとは思ったけど、じゃあどうしたんだよ。

 

- ちょっといろいろあって、実はあの事件の目撃者っておれの母ちゃんなんだけど、母ちゃんあの日警察に事情聴取を受けてから家に帰ってきて、異常なこと言い出したんだよ。

 

- 異常なことって?

 

- 事件の犯人、おれの婆ちゃんだったって。

 

- え・・・、だってお前の婆ちゃん先月死んだんだろ、どういうこと?

 

- わかんねえよ、でも母ちゃんが言うには、完全に婆ちゃんだったって。ただ身長がすげえデカくなってて、四メートルはあるって、そんなことあるわけねえだろって言ったんだけど。

 

- お前の言ってること、いろいろよくわかんねえよ・・・。

 

- おれもわかんねえよ。それでちょっといろいろ家族でもめててさ。

 

- まさか警察にそれ言ったの?

 

- そんなこと言わねえよ、頭おかしいだろ。目撃した犯人は死んだ自分の母親で、でも身長が四メートルくらいになってたって、そんなこと言うわけねえだろ。

 

- だろうな。ってかさあ、お前暇つぶしにおれに嘘ついてるの?

 

- いやいやそんなんじゃねえんだよ。そのことでお前に相談があって。おまえの爺ちゃんが変な占い師みたいなことやってるだろ。だからさ、母ちゃんが言ってること、ちょっと聞いてみてくれねえかな?

 

- 変って言うなよ。それに占い師じゃねえよ。本職は鍼灸師だし、あれは仕事じゃなくてボランティアでやってるみたいだよ。おれもよく知らねえけど。で、何を聞くんだよ?死んだ婆ちゃんが身長四メートルになって生き返って、人間を襲うことがあるかって聞くの・・・?

 

- う〜ん・・・、とにかく明日は学校行くから、その時相談させてくれ、たのむよ。

 

9月21日、塩田がまとめてきた相談の内容は、とにかく母親の話をぼくの祖父に聞いて欲しいということだった。

 

ぼくはその日の夕方に祖父の仕事場である自宅に出向き、祖父にことの成り行きを説明した。

 

「あの事件なあ、南黒町団地だろ、あそこはなあ・・・。」

 

「あそこはって、何なの?」

 

「あそこはあんまりいい場所じゃなくてさ、いい場所じゃないどころかなあ、ちょっと厄介な場所だな。」

 

「厄介ってのは?」

 

「お前は知らないと思うけれど、団地が建つ前、もうずいぶん昔になるが、あそこはある宗教団体の土地だったんだよ。まあ宗教っていうか民間信仰の集会所って具合だが、ゴンゴっていう神様を祀った祠があってな、まあいわゆる聖域なんだよ。」

 

「つまり、その聖域を壊して団地建てちゃったんだ。」

 

「そういうことだな。もうこの辺りじゃ知ってる人も少ない話だろうし、そういうことを人前で言うとさ、いろいろあれだろ。お前もこの話は人前で言うなよ。ただなあ、言ったって言わなくたって同じことで、厄介には変わりない。それにあの団地、もうほとんど人住んでないだろ。表沙汰にはならないけれど、いろいろ異常なことが起こってるはずだ。いくつか噂では聞いたけどな。」

 

「噂って、どんな?」

 

「はっはっはっ、まあ、それはまた今度な。ところで、その塩田くんの話な、死んだお婆ちゃんが巨大になってたって、そう言ってたんだよな、塩田くんのお母さんが。」

 

「うん、まったく意味不明だけど、そう言ってるらしいよ。」

 

「そうかあ・・・、そりゃあ、ちょっと厄介だな。」

 

序章 - 団地の魔女

 

 

 

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