ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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夏目漱石が49歳で死去、吾輩もそろそろ名も無き猫に噛まれてゾンビになりたい日記。

昨夜、眠る前に枕元の机においてあった夏目漱石の作品をウトウトしながら読み返していて、もう意識が遠のく寸前になって表紙裏の著者のプロフィールを見ると、夏目漱石は49歳で死んだと書いてあった。

 

当時の平均寿命が如何程のものかは知り得ないが、今時49歳で死んだと言ったら一般的にはずいぶん若くして死んだなあと言われるに違いない。

 

日本だけに限ったことではないかもしれないが、長寿が素晴らしいことだという考え方は世に蔓延している。長寿でニュースになったり表彰されたりしちゃうくらいだからね。

 

まあ体が元気で、生活に困らなくて、毎日質素ながらも美味しいご飯を食べて酒を飲んで、適度に好きなことをして、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」と言える日々が続いている間はそれなりに長生きしていてもいいとは思うけれど、多くの人がすべてそういうわけにもいかないだろう。

 

病気になることもあるだろうし、生活に困ることもあるだろうし、取り払えない心の闇を抱えてしまうこともあるだろう。ご飯も美味しく食べられなくなり、体も自由が効かなくなり、さらにはひとり孤独となってあてもなく世を彷徨うようになってしまうことだって大いに考えられる。

 

それを思えば、今この瞬間、この刹那にでも、いつ死んでもべつにいいように思う。

 

だから漱石の49歳なんて、ちょうどいい頃合いだよなあと、あるいは不謹慎かもしれないが、遠のく意識の中でふと思ってしまった。

 

例えば野生動物とか昆虫とか植物とかっていうものたちは、死というものをどう捉えているのだろうか。長く生きながらえることに対しての意味を持ちえるのだろうか。人間のような死への恐怖や生への渇望を抱きかかえて生きているのだろうか。

 

反対に言えば、人間から死への恐怖や生への渇望を取り去ってしまったらどうなるのだろうか。

 

それってもしかしたらゾンビみたいな感じではないのかなあ。

 

ゾンビに死への恐怖はないし、生への渇望もない。人間を貪り食うのは生きるためではなくて、お腹が空いたという感覚がそうさせているのだと思う。別に何も食べなくてもゾンビは永遠に生きているはずである。だってもう死んでいるからね。

 

ある意味ではゾンビこそが、人間がすべてのものから解放され、無意識の境地に至った状態であり、あれが理想的な長寿であり、いわば伝説の不老不死なのではないだろうか。

 

つまりぼくが、正統的なロメロ派のゾンビ映画に対して抱いている「ゾンビ映画は楽園を描いた映画だ!」という思いは、そのあたりから来ているはずである。

 

ロメロの『ゾンビ』に登場するショッピングモールのシーン、あの場所は一見楽園に見えるのだけれど、あれは偽物の楽園なのである。本当の楽園への道は、ゾンビにちょっとだけかじられて自らもゾンビと化すことなんだと思う。

 

でも人間は、迫りくるゾンビから命惜しさに逃げ惑い、あるいはゾンビの頭を叩き割り、最終的にはゾンビ関係なく物欲にまみれて人間同士で殺し合って結局苦しみながら死んでゆく。滑稽だけれどもなんて悲しい映画だろうなあと思う。

 

ちなみにゾンビは脳を破壊すれば死ぬとかいう設定をよく聞くが、夏目漱石の脳はエタノール漬けになって保存されているらしいから、そのあたりをテーマにゾンビ小説が書ける気がする。

 

タイトルはもちろん、『吾輩はゾンビである』かな。

 

吾輩はゾンビである。

名前はもう無い。どこで死んで生き返ったかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめしたモールでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで再び人間というものを見た。

 

もちろん猫がゾンビになったという話であるが、動物もゾンビになるのだろうか。

 

さてと、きょうはここまで、そろそろスイッチを切ろう。そしてゾンビになるために、雨降る最中蛇の目で買い物がてらに、猫ゾンビでも探しにゆこう。

 

吾輩は死んでいる。死んでこの楽園を得たのである。楽園は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

 

夏目漱石が49歳で死去、吾輩もそろそろ名も無き猫に噛まれてゾンビになりたい日記。

 

 

 

吾輩は猫である (宝島社文庫)

吾輩は猫である (宝島社文庫)

 

 

月白貉