ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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庭の隅に隠された秘密と、本当はコワい岩場の主の話。

前回まで入江の沖にある、本当はコワい岩礁の話。

 

窓が開け放たれた縁側の先の庭からは、わずかに潮の香りを含んだ海から吹く強い風が、家の中に向けてゴウゴウと音を立てて流れ込んできていた。

 

「それからがなあ・・・。」と呟いた祖母の話の続きが一体いつはじまるのかと、私はじっと祖母の横顔を見つめながら呼吸をするのも忘れたようにして静かに待っていた。しかし、祖母はそのまま石にでもなってしまったかのようにずいぶん長い間体を固めて、じっと庭の隅を睨み続けていた。

 

私がふと祖母の視線の先に目を向けると、庭の隅に植えられた松の木陰に、黒々とした苔にまみれた石の置物のようなものが打ち捨てられたようにして置かれていることに気が付いた。祖母はどうやら先ほどからずっとそれを睨みつけているようだった。

 

その置物はちょうどサッカーボールくらいの大きさをした荒い網目状の中空の球体で、どちらかと言えば西洋的な趣を感じさせる造形を持っていた。しかしそれはあまり気持ちのよい印象を持つ姿ではなく、まるで幼い子供が小さなケルト十字をいくつも出鱈目に組み合わせて作ったような、何か邪悪な荒々しさを感じさせるものだった。

 

「バアちゃん、あの庭の置物が何か関係あるのか?」

 

「ああ、ごめんごめん、暑くてボ〜っとしちゃってな。」

 

祖母は突然あわてたようにして「あつい、あつい」と小声で何度も繰り返しながら、そして私の置物に関する質問がまったく聞こえていなかったかのようにして、おもむろに手に取った団扇でバタバタと体を扇いでから、私の方にぎこちない笑顔を浮かべた。

 

「それで、石の社を壊してから、何があったんだ?」

 

「あれはなあ、そうだなあ。」

 

祖母はゆっくりと強張った肩を落として少し顔の表情を緩ませ、シャクリと音を立ててスイカを一口かじってから話を続けた。

 

「岩場の社を壊してから数日後のことだったかなあ。もうずいぶん昔のことだからおれもあまりきれいには覚えてないけど、入江から船を出して漁に出ていた漁師のひとりが、おれもよく知ってるジイさんの酒飲み友だちだよ、その人がな、その日の夕方に入江の浜で死んでるのが見つかってなあ。おれも死体を見たけれど、なんだかワニにでもかじられたように、体のあちこちがさ、足先とか、肩から腕の下全部とかさ、無くなってるんだよ。もうなあ、なんだかグチャグチャの傷口に蟹だの貝だのが群れててなあ、体は膨れ上がってるしなあ、見ちゃいられないような酷い死体でなあ。」

 

「ワニに?ワニって、サメのことか?」

 

「ああ、そうそうフカだよ、サメだ。でもなあ、いままでここいらの海で漁師がサメに襲われることなんかなかったんだよ。だから事故にでもあってさ、岩に打ち付けられたんだろうってことになったんだけど、でもその日を境にして、あの入江で毎日、毎日だよ、同じような死体が上がるようになったんだよ。それで大騒ぎになってなあ。」

 

「えっ、もしかして、またその、何とか教の仕業だったのか?」

 

「いやいや、今度は蛇魂教の仕業じゃねえって話で、それでだよ。」

 

祖母は湯呑みを手にしてゆっくりと口に運ぶと、ゴクゴクと音を鳴らして冷めた番茶を喉に流し込んだ。

 

「それで・・・?」

 

「うん、それでだ、警察やなんかも動き出したけどさ、しばらくして、入江で化け物を見たって人が出てきてなあ。それが人を襲って食ってたってなあ。」

 

「えっ・・・、まさか、嘘でしょ?」

 

少し大きな笑い声を上げて後ろに仰け反った私に向かって、祖母はまったく真剣な顔をしながら首を何度も横に振った。

 

「いやいやそれがなあ、うん、化け物なんてなあ、そんな馬鹿な話があるかと、おれもジイさんも思ったよ。でも、その見たって人がなあ、シンゴも知ってるだろ、今はもう亡くなっちゃったけど、あの岸本商店の先に住んでたラゴウさんとこの婆ちゃんだよ。」

 

「ああ、なんだか占い師みたいなことやってた婆さんだろ。一部の人からはちょっと頭がおかしいとか言われて、差別みたいなこと受けてたよなあ、確か。」

 

「ラゴウさんとこは昔から祈祷師みたいなことやってきた家でさ、特にあの婆ちゃんはすごかったんだよ。おれもちょっと顔見知りでなあ、何度か見てもらったことあるけどさ。だってな、一度おれが山行った時にこさえちゃった大きなデキモノからさ、何だか知らないけど透明な虫みたいなものを引っ張りだして、シュってその場で治しちゃったんだから。」

 

「なんだかちょっと怪しいけどなあ、そういうのも・・・。」

 

「違うんだよ、それでな、ラゴウの婆ちゃんが見たって言っても、警察は信じなかったんだけど、それから見たって人が山ほど出てきたんだよ。」

 

「本当かなあ・・・、でも化け物って、どんな化け物なんだろうなあ。」

 

「こんなにもでっかいフナムシなんだよ、おれもジイさんも見たんだからさ!」

 

祖母が目一杯に両の腕を広げたその時の顔が、私にはなぜか真っ黒いのっぺらぼうのように見え、背筋に凄まじい寒気を感じた。

 

次回へ続く

 

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月白貉