ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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知らないはずのメールアドレスに届く、本当はコワい知人のメール。

前回まで部屋の中に何かが祀られている、本当はコワい格安賃貸物件。

 

部屋の床に寝そべってぼんやりと天井を眺めながら微睡んでいると、シャツの胸ポケットに入れたまま取り出すのを忘れていたスマートフォンが「ブルルッ」と一度だけ大きく体を震わせた。半ば夢現だった私は、その不意の振動が夢の中で自分の胸に向けて放たれて突き刺さった矢の衝撃かのような錯覚に陥り、ビクンと飛び起きてしまった。

 

スマートフォンの震えはモミからのメールだった。

 

部屋は決まったの?

 

モミはこのメールを私が今いる同じ自宅の中から送信してきているはずだった。私はその文字に何度も繰り返し目を通してから小さくため息をつき、モミへの返信を送ることにした。

 

今日、不動産屋をいくつかまわって来た。よさそうな物件がひとつ見つかったから、なるべく早く契約を進めるつもり。

 

私はそのメールを送信してしまってから、今日最後に訪れた不動産会社のサカザキさんという担当者に電話を掛け、内見をした部屋を契約したい旨を伝えた。サカザキさんはその申し出に対して一瞬言葉を詰まらせたようにして電話の向こうで押し黙ったが、すぐにまた静かに話し出した。

 

「かしこまりました。この度は誠にありがとうございます。ではご契約のために再度弊社までご足労願いたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?」

 

「私の方は、土曜日か日曜日であればいつでも時間を作れますよ。」

 

「左様でございますか。ではもし明日の日曜日でもよろしければ、いかがでしょうか?」

 

「明日ですか、それは構いませんが、契約に必要な書類などは・・・、」

 

「はい、その件に関しまして、こちらの物件はお話ししましたように特別なケースでございますので、特にご提出いただく書類などは一切ございません。弊社で簡単な契約書をご用意させていただきますので、そちらにご記入いただくだけで結構でございます。また敷金や礼金、仲介手数料なども一切不要でございます。火災保険などに関しては任意とさせていただいておりますので、必要な場合にはお申し出くだされば準備させていただきます。あっ、実印ではなくて結構ですので、印鑑だけお持ち下さいませ。」

 

「なるほど、わかりました。なんだかちょっと心配になるほど好条件ですが・・・、お話いただいた以外に何か特殊な注意点などは本当にないんですよね?」

 

「はい、ご心配なさるのは当然かと思いますが、お話させていただいたことがすべてでございますので、ご安心下さい。では明日ということでよろしいでしょうか?」

 

「そうですね、では明日、午後でも大丈夫ですか?午後一時とか。」

 

「かしこまりました。では明日の午後一時にお待ち申し上げておりますので、どうぞよろしくお願い致します。」

 

スマートフォンを机の隅に置きノートパソコンを開いた私は、メーラーを立ち上げてイグチさんに向けてメールを書き始めた。

 

イグチ様

 

こんにちは、シロキです。

先日は私事のゴタゴタに巻き込んでしまって大変申し訳ありませんでした。あの後2人で話し合って、イグチさんの助言通りモミとはしばらく離れて暮らすことになりました。今でも家庭内別居のような状態ですが、やはりそれだとお互いが不必要なストレスばかり溜め込んでしまい、状況が悪化の一途をたどるだけなので、私が一時的に安いアパートメントを借りて、そちらでしばらくひとりで生活をすることになりました。

 

つきましては、そのご報告と思いメールをお送りしました。

 

ところで別件なのですが、明日の午前中、もしイグチさんのご都合がよろしければちょっとお聞きしたいことがありまして、どこかでお茶でもご一緒できないでしょうか?

 

お返事お待ちいたします。

 

シロキ

 

イグチさんと出会ったのは三年前だった。地域の農家が主催する田植えのイベントにモミと2人で参加した際に、そのイベントの主催者のひとりだったイグチさんとちょっとした会話から意気投合し、その後も度々イグチさんの自宅で開催される地産の食材を使った食事会に呼ばれるようになった。

 

イグチさんは自宅周辺に自ら管理する水田や畑を所有していたが本業は農家ではなく、大学で日本民俗学を教える大学教授という肩書を持っていた。私は学んでこそいないが日本民俗学には非常に強い関心を持っていて、一時は日本民俗学を学びなおすために大学に再入学することも真剣に考えていたこともあった。だから私は勝手にイグチさんのことを師匠だと思うようになっていた。

 

そして、私が今日内見したアパートメントを契約する気になった理由も、もちろん想定外の出費を抑えるために少しでも家賃の安い物件を希望していたということもあったのだが、決定打になっているのは、思いもよらず耳にしたあのアパートメントにへばり付いている何か民俗学的な匂いの漂う“いわく”の部分だった。

 

オーナー様のお考えとして、このアパートメントはそもそも人に貸すために建てたのではなく、ある種の祭祀場的な建造物として建てたそうです。個別に人が暮らせるスペースを有しているのはアパートメントを想定してのことではなく、その信仰と儀式に関係があると聞いております。

 

もし今後長く住むことを踏まえて部屋を探していたのであれば、決して選ばなかった選択肢ではあった。ただ私の考えとしては長く住んだとしてもせいぜい数ヶ月、下手にまともな賃貸物件を借りて無駄な出費を重ねてすぐに退去するようなことになるのなら、家賃が格安で柵も少ない、そしてスリリングな遊び心を備えた特殊な物件にでも住んでみて、気を紛らわせたいという気持ちも正直あった。そして偶然にも私が今日出会ったあのアパートメントは、まさにその条件にスッポリとはまって隙間さえ無くなるようなものだった。

 

私が今さっきイグチさんにメールを送った理由の中には、アパートメントのオーナーが信仰しているというどこぞの民俗信仰について、イグチさんなら何か知っていることがあるかもしれないという思いが隠されていた。部屋の契約を済ませる前に、イグチさんにそのことを尋ねてみたくなったからだった。

 

しばらくすると机に置かれたスマートフォンが再び一度だけ「ブルルッ」と震えた。私はまたモミからのメールかと思い、少し目を閉じてから無意識にため息をつき、ゆっくりとスマートフォンを手に取って画面に目を向けると、それはイグチさんからのメールだった。イグチさんはなぜかいつも、私の送ったメールの差出アドレス云々に関わらず、必ずその返信は私がスマートフォンでのみ受信しているメールアドレスに送られてきた。

 

私は出先などで否応なし送られてくるメールというものを極力避けるために、そのメールアドレスを教えているのはモミと自分の両親、そして旧知のたった一人の友人のみだった。そして私は自覚として、イグチさんにそのメールアドレスを教えた記憶が一切なかった。けれど、いつからか忘れてしまったが、イグチさんは私が使用している別のいくつかのメールアドレスから受け取ったメールの返信内容を、知らないはずの携帯のメールアドレスに送ってくるようになっていた。けれどイグチさんがメールを送ってくるのは、私のメールに対する返信時のみだったので、最初以外はそれほど気にもしていなかったのだが、今回はなぜかそのことが無性に気にかかった。

 

シロキ様

 

メール拝受いたしました。明日の午前中の件、9時に拙宅ではいかがでしょうか?よろしければ返信は無用です。お待ちいたしております。

 

イグチ

 

知らないはずのメールアドレスに届く、本当はコワい知人のメール。

 

 

 

図説 日本民俗学

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日本民俗学概論

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月白貉